ファインマンでも?だから?

 就職(入省)直前の86年1月に米国のスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故が発生し、世界中に衝撃を与えた。NASAは直ちに「ロジャース委員会」を設置したが、多くの専門家がいる中で原因がO型リングの破損にあると突き止めたのはノーベル物理学賞受賞者でもあるR・ファインマン博士だったということ、原因を解明したにもかかわらず彼の様々な提言が委員会では採用されず、報告書の付録扱いにされたこと等を知って、彼に興味をもち、自伝とも言える「ご冗談でしょう、ファインマンさん(岩波書店)」を読んだ。

 そこに描かれた破天荒な言動の数々に驚き、興奮したが、中でも彼が学部から大学院に進学する際の担当教授とのやり取り(同書p77)はとても衝撃的だった。

 学部の学生としてMIT(マサチューセッツ工科大学)にいるころ、僕はMITが非常に気に行っていた。こんな良いところは他にないと思い込んでいたから、大学院ももちろんMITと心に決めていた。ところがこれをスレーター教授に話したところ、言下に「ここの大学院には、いれないよ」と言われた。
 「ええっ?」と僕がびっくりすると、教授に「何でMITの大学院に入りたいのかね?」ときかれ
た。
 「なにしろ、MITは科学では全国一ですから。」
 「君、ほんとうにそう思うのかね?」
 「もちろんです。」
 「そうだろう。だからこそ君は、ほかの大学院に行くべきなんだよ。外の世界がどんなものか見て
くる必要があるからね。」
というわけで僕はプリンストンの大学院に行くことに決めた。

  優秀な学生は自分の研究室に置き、自身の後継者にしたいと思うのは研究者として当然の考えであって、我が国の大学で自校進学者が多いのは特に有名大学では当たり前だと思っていた。ところが、それとは全く逆に「優秀だからこそ外に出ろ」という。こんなことを言われて納得できるのだろうかと思ったが、これに対するファインマンの考えは以下の通りだった(同書p84)

 MITは実に良いところだったし、僕はこの大学に惚れ込んでいた。MIT精神というものがつちかわれ、それが学内にみなぎっており、MITにいる者は皆、これこそ世界一すばらしいところだ、こと科学と技術にかけては世界一かさもなければアメリカ唯一の中心地だ、と信じていたのだ。(略)

 MITは確かに素晴らしかった。しかしスレーター教授が僕に他校の大学院をすすめたのは賢明だったと思う。そしてこの僕もやっぱり同じことを学生たちに忠告している。若者はすべからく広い世界に出て、外を見てくることだ。事物の多様性を知ることは大切なことだからだ。 

  出身校の素晴らしさを認識し、そこに強い愛着と誇りを持っているのは洋の東西で共通だったが、そこからの判断・対応が大きく異なる。

 米国大学の強さ・独創性の基盤が多様性にあることは良く指摘されるが、これはそれがどれ程強く、脈々と受け継がれているものかを端的に示している。
(なお、このエピソードは「はじめましてファインマン先生(講談社ブルーバックス)」でも紹介されていることから、米国でも印象的な、有名なものなのかもしれない。)

 その後、大学や研究開発法人において教員採用予定人事を審議する場に立ち会う機会が何度もあった。いずれも国内外に向けた公募が原則となっていたが、結局、自大学・研究所内から後任が採用されるケースが多かった。

 前任者の教育・研究をつつがなく継承できること、採用する人物の人柄等について予め良く承知していること等の理由も大きいのだろうし、それは理解しつつも、上記エピソードによって考え方が大きく変わった身として、これらにはいつも大きな違和感を持っていた。そこで、何度か選考の席上で質問もし、発言もしたが、部外者の言としての扱いに止まり、判断・決定に影響を与えることはなかった。

 このような経験を踏まえ、両国間のこの差が縮まる可能性があるのだろうか、どうしたら差を縮めることができるのかと今でも考えることがある。

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