(国立)大学改革を阻む真の要因

繰り返される改革要望・提言
 我が国の大学、中でも毎年総額1兆円を超える国費が投じられている国立大学に対しては、国内外から改善を求める強い要望が常に寄せられており、その声に応える形で文部科学省も度々、改革の具体策を提言し、各大学に通知しています。

 各大学はこれらの改革に取り組むことを強いられており、どこもが「改革疲れ」という状況にあるとさえ言われる程です。なるほど、通知が発出される都度、その趣旨に沿った方策等に取り組む大学の様子が紹介されはするものの、それらはあくまでも一部の大学の、しかも往々にしてその中の特定の部局での取り組み・事例紹介にとどまっているのが実情で、大学総体として改善が図られた、という成果は残念なことに一向に見えないでいます。
 他の大学においては、それどころではなく、求められた・強制された改革を理解し、それへの準備に取り組むのが精一杯で、とても成果を見るには至っていません。 

 このような実態を前にして、改めてこれまでと似たような提言が発出されるということが繰り返されています。一体いつまでこのようなことを続けるのでしょうか。
 そもそも、なぜ、このようなことが続くのでしょう。

 (職員派遣の謎
 それを解明するのに、まず、国立大学法人と文科省がどういう関係にあるのかを見てみることが重要です。

 すると制度上、両者は独立した機関であるのに、全国の国立大学には総数で二百人を超える職員(平成29年1月現在241人)が文部科学省から派遣(出向)されていることが分かります。しかもそのほぼ全員が当該大学の幹部に就任しているのです。

 大学に対して改革を求める提言を取りまとめ、それを発出した文部科学省から赴任した身として、提言の趣旨・背景は当該大学内の誰よりも詳しいはずであり、かつ、幹部として率先して提言事項・内容の実現に取り組むだろうと考えるのが当然です。

 文科省自身がこれらの職員は「大学の要請に基づいて」派遣していると国会で答弁しているのだからなおさらです。改革を求める提言を実現するには学内では処理しきれないため、各大学が文科省に職員派遣を要請し、文科省がそれに応えているというのであれば(また、他に要請する理由は思い浮かびませんが)、なぜ各大学でこのような状態が続き、また、なぜ大学は成果を上げることができずにいる職員を文科省に要請することを繰り返しているのでしょう。

職員派遣の建前
 実は、国立大学における改革の遅れと、文部科学省からの(改革を担うために要請されたはずの)職員派遣という一見、矛盾するように見える両者は密接に関係しているのです。

 背景には、法人化によって、法律上、文部科学省から自立した存在となった国立大学を、従前通り、省内職員の異動先・ポストとして維持・確保し続けたいという文部科学省の意向があります。国立の機関であった当時、大学は文部科学省配下の一機関であり、そこでの職員も国家公務員でした。

 従って、文部科学省とって大学は職員を自由に配置できるポストの一つだったのです。
 ところが、法人化に伴い、大学職員の身分は法人職員となり、その人事(採用・配置)の権限は各法人の長たる学長が握ることになったため、学長が認めない限り、文科省から職員を派遣することなどできません。これは、省にとって職員の異動ポストを大量に失うことを意味します。加えて多くの場合、大学は初めて幹部に昇任するポストとして用意・機能していたという側面もあり、職員にとっても影響は大きいのです。

 そこで、法人化発足当時は「文部科学省とのパイプ役として必要だ」「大学行政に精通した人物だから役立つ(はず)」「改革業務を担う」…といった様々な理由を挙げて職員派遣の意義・必要性が説かれていました。

 しかし、法人化の趣旨として、自立した法人になった以上、文科省とのパイプは以前ほど必要なくなること、従前から大学内での学生対応・教学・運営等の「業務」に従事・精通している職員を差し置いてまで「行政」に精通した職員が、しかも幹部として必要だとは考えられないことから、前二者では説得力が欠けます。

 では「改革業務の担当」はどうでしょう。上述の通り、当初はこれが最も(建前として)説得力を持ち、法人側も期待したと思うのですが、それを「ポストの確保・維持」をしたい、という本音が邪魔をすることになるのです。

職員派遣の本音
 およそどのような改革であれ、それは現状変更を意図するものであることから、実施する過程で、既得権益を得ている層からの抵抗を受けることは避けられません。その「痛み」を克服したところに改革の成功はあるのですが、改革が大きいほど既得権益が脅かされる者の範囲もそれだけ広くなり、抵抗の度合いも強くなります。
 果たして、文科省から派遣された職員は、「大学改革を担う」という職務に忠実・勤勉であるほど、学内の軋轢・反発を呼ぶことになるでしょう。

 ここで本音と建て前が乖離し、前者(本音)が露わになってきます。

 本来なら、当該大学での改革の推進のために職員を送り出した文科省としてはこの職員を支え、かつ、職員の派遣を要請しておきながら、彼/彼女を厳しい状況に追い込んだ大学側を非難するのが当然でしょう。

 ところが、実際は全く逆のことが行われています。文科省が提言で大学に示した改革事項を実施したことで大学側に混乱を生じさせたとして、大学側から当該職員の活動に対して苦情が寄せられたりすると、派遣していた職員を更迭し、代わりの職員と交代させるということが行われるのです。当然、それを知っている後任は大学内に波風を立てないようにと、改革の実施には消極的となります。

 また、研究不正のような不祥事に対して、大学としての毅然とした態度を示す必要があるとして、文科省が示した指針に基づいて処理を進めていたのに、処分内容が厳しすぎるという不満の声が上がった結果、その者に対して同様の措置が取られた例もあります。

 このような事例は他大学に派遣された職員にとっても他人事ではない(どころか、重大な関心事である)ことから、誰もが「大過なく」過ごすようになります。こうして大学改革は蔑ろにされていくのです。

 これでは大学側としてもわざわざ文科省に職員派遣を要請する必要がないはずです。ところが派遣は続けられています。つまり、大学の意向とは関係がないのです。

 以上のことから、文科省から大学への職員派遣は大学改革を推進するために実施されているとか、大学側の要請に応えて行われている、と言う理由がどれほど空虚な建前であるかは明らかでしょう。  

 文科省にとっては改革の進捗より、当該大学に職員を派遣すること、それを維持することこそが重要なのです。

 また、大学の要請の有無を考慮するつもりはないものの、任命権を有する大学(長)の了解は制度上、派遣を実施する上で不可欠であることから、その意向に逆らうようなことは避けるようにするという判断・対応は保持することになります。

 このような内部の実態は外部からは知る由もありませんが、一方で、同じ大学である私立大学が、多額の国費が投入されている国立大学でも改革が進んでいないことを理由に、改革提言の実施に真剣には取り組もうとはしなくなるとしても仕方がありません。

問題はヒトだけでない
 改革を担い、進めるとの理由で行われている(はず)の派遣人事が改革の障壁になっているのだから皮肉を越して喜劇ですらあります。

 ところが、要因はこれだけではないのです。

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