改革を進める資源として人材が重要であることは言を俟ちませんが、これと並んで大きな力を持つのが「カネ」であるのは衆目の一致するところでしょう。
文科省では国立大学に対して総額1兆円を超える運営費交付金に加え、様々な競争的資金や改革モデル事業経費を配分しています。しかも事業評価結果に基づき、優れた実績をあげた大学法人には次期中期目標期間中の交付金額を増額するとし、また、法人制度の趣旨に則り、各大学を競争的環境において、その中で意欲的な内容に富み、その実施に向けては学長の責任の下に全学的な体制を取ることを明記したものを採択するとしています。
このような方針が取られているのであれば、仮に学外から派遣されるヒトの面で問題があろうと、それとは別に、資金面については自ら頑張れば相応の資金を獲得でき、それを有効に使って改革を進められるし、その結果を踏まえて次の段階の改革に向けた計画を立て…といった好循環が可能となるはずです。
ところが、これも改革には役立っていないのです。一体何故なのでしょう。
(競争的環境という「理想」)
ヒトの派遣の実態から容易に想像がつくように、カネの面でも「本音」より「建て前」が優先していることがその理由です。上述した配分方針はあくまでも建て前なのです。
では本音は何かと言えば、各大学の格・大学間の序列を維持することです。およそ競争的環境にあることとには反するのですが、この点もヒトの面と同様です。
競争的環境にあるということは、プレイヤーである各大学が同じ条件のもとで互いにしのぎを削り、結果、優れたものが資金を獲得するものであるはずです。なるほど、各大学がおかれた条件・規模には差があり、スタートラインが一緒というわけにはいきません。事実、各大学の予算規模には大きな差があります。
それでも、公募された条件に対して、どのように、どこまで取り組んでいくかを示していくという条件は平等であり、その中で頑張った大学、成果を挙げた(挙げると見込まれる)大学がより多くの資金を獲得していくというのが本来のあるべき姿でしょう。
そしてこのことが、ランキングの下位に甘んじ、限られた予算での細々とした運営を余儀なくさせられていた大学でも、努力次第で、ランキング上位校を凌いで大きな予算を獲得し、序列を変えていくというダイナミックな(「下剋上」と言えるような)動きが可能となることを期待させたのです。
(予算配分の実態)
それができずにいるのは、大学からどんな意欲的な計画が提出され、どれほど高い成果をあげてもそれらが正当に評価されることも、経費配分に反映されることもないからです。具体的に見てみましょう。
決算報告書が公表されている直近の年度である令和元年度の予算額は、東京大学では2,575億円(小数点以下四捨五入、以下同じ)となっています。これに対して京都大学のそれは1,779億円であり、東大の規模の69%です。
これを法人化発足当時(平成16)年と比べると東大1,851億円に対して京大1,182億円であり、東大の64%です。法人制度発足から15年が経過し、この間、競争的環境下での意欲的な取り組みを奨励してきた(はずの)結果が5%の差としてしか現れていません。これは単純計算ですが、わずか0.33%/年しか変動していないことになり、ほとんどゼロに等しいです。他校の状況も見てみましょう。数値の羅列は煩雑なので結果を表に示します。
| 大学名 | 令和元年度予算額 | 対東大比 | 平成16年度予算額 | 対東大比 | 15年間の比率差 | |
旧七帝大 |
東京大学 | 2,575億円 | ― | 1,851億円 | ― | - |
| 北海道大学 | 991億円 | 38.5% | 837億円 | 45.2% | △6.7% | |
| 東北大学 | 1,470億円 | 57.1% | 1,081億円 | 58.4% | △1.3% | |
| 名古屋大学 | 1,061億円 | 41.2% | 766億円 | 41.4% | △0.2% | |
| 京都大学 | 1,779億円 | 69.1% | 1,182億円 | 63.9% | +5.2% | |
| 大阪大学 | 1,580億円 | 61.4% | 1,024億円 | 55.3% | +6.1% | |
| 九州大学 | 1,259億円 | 48.9% | 1,090億円 | 58.9% | △10.0% | |
地方大学 |
筑波大学 | 1,092億円 | 42.4% | 727億円 | 39.3% | +3.1% |
| 山形大学 | 295億円 | 16.8% | 433億円 | 15.9% | +0.9% | |
| 埼玉大学 | 135億円 | 5.2% | 122億円 | 6.6% | △1.4% | |
| 金沢大学 | 576億円 | 22.4% | 491億円 | 26.5% | △4.1% | |
| 三重大学 | 459億円 | 17.8% | 320億円 | 17.3% | +0.5% | |
| 山口大学 | 489億円 | 19.0% | 378億円 | 20.4% | △1.4% | |
| 熊本大学 | 612億円 | 23.8% | 431億円 | 23.3% | +0.5% |
ここで旧七帝大とその他の地方大学を分けたのは、運営費交付金額をはじめとする競争的資金の配分割合が他の大学とは比較にならないためですが、実際、表中でも筑波大学を別にすれば旧七帝大と地方大学とでは文字通り予算規模の桁が違います。
地方大学のうち、
筑波大学は国立大学協会長の所属大学であること、
山形大学は一時期文科省次官が学長を務めていたこと、
埼玉大学は今年度の大河ドラマの主人公であり、次の一万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一の出身地にある大学であること、
金沢大学はもし旧帝大が一校増えていたなら八番目に加わる大学と言われていたこと、
三重大学は元学長が国による研究経費配分の偏り・減額がどれほど研究成果創出に影響を与えているかについて実証的データを踏まえ再三訴えていること、
山口大学は憲政史上最長の在任期間を記録した前総理大臣の地元にあること、
熊本大学は東日本大震災以後に発生した大地震の被災地にあること
からそれぞれ選んだものではありますが、いずれも便宜的な理由に過ぎず、他の大学を選んだとしても何も問題はありません。
この表からは地方大学に比して、旧七帝の比率の変動が大きいように見えますが、それでもせいぜい(九州大学を除き)上下6%程度の範囲内です。地方大学ではさらにその差が狭いのが分かるでしょう。
限られた財源の中で効率的に資源配分を行うには優れた取り組みを行った大学には加算する反面、努力がみられない大学は減額する等を行うことで、大学間の競争を促すという主張・構想が如何に形式的なものであり、実際には大学間の序列がどれほど固定したものとなっているかが見て取れます。
15年間頑張ってもせいぜい5%(年0.3%)程度しか差が変動しないのでは、努力をする意欲も失せるでしょう。特に21世紀に入り、野依教授を始めとして6名のノーベル賞受賞者を輩出した名古屋大学や、大学ランキングで東大を抜いて国内一位を獲得した東北大学ですら、東大との差が縮まるどころか、わずかとはいえ広がっていることを見れば猶更です。もしかすると、文科省が上記方針を掲げたところで、大学側は当初からこのような結果(序列の固定化)は認識していたため、特段の努力・申請もせずにいたのかもしれません。
この点に関し、個人的には強烈な経験があります。
まだ国立大学当時の話ではありますが、筆者が大学行政を担当していた際に、ある地方の大学に対して、従来から行っている取り組みは顕著で、成果も上げていることから、新規に実施する事業の趣旨を体現した好例として他大学の参考になると思うので、当該事業費獲得に申請してはどうかと打診したことがあります。
ところが、大学は「本学のような規模の大学が他の大学を差し置いて新規事業予算に申請するなどおこがましい」という回答をして辞退したのです。その一方で、主要大学と言われる大学の担当者は「今度の新事業費は当然、我が大学が対象になるのだろう」と要求・打診してきました。
大学間に階級差・序列が強く存在していることを身をもって知った次第ですが、それから三十年近くが経過し、法人化を経たにも関わらず現状に大差はないのです。
いずれにせよ、表からは競争的環境とは名ばかり(建前)で、実際は各校に許されているのは限られた範囲の、大学間の序列に影響を及ぼさない範囲での予算獲得に過ぎないという実態が顕著に示されています。
(今なお残る「護送船団方式」)
なぜこんなことが残るのでしょう?ここからは想像の域を出ませんが、考えられるのは全国の国立大学を効率的に管理するうえで、また、先述の職員派遣を効率的に実施するうえでも序列が固定化されている方が好都合であるので、これを維持したいという意向が働いているということです。
意欲的な計画や顕著な成果に応じた予算配分を行うことは、急速に規模を拡大し、発言権を増す大学が登場する可能性を生むことになりますが、これによって当該大学が国立大学全体で占める位置づけを見直さざるを得なくなります。この「手間」を省くには序列を固定化しておくのが良いのです。
また、上述の人材派遣の上からも好都合です。
およそ人事異動において、誰をどこに派遣するかは通常、その大学がどの序列・格に位置付けられているかを勘案して判断されますが、同時にそれは派遣される側にとっても自身の位置づけ・職場からの評価の程度を判定する尺度となっています。この序列が変わることは、双方にとって面倒であり、混乱を生じさせる以外の何ものでもないのは明らかです。
要は、文科省の都合だけが優先されているのです。
なるほど、内外から大学改革への要望が強い中、文科省としてもこれを無視することはできません。しかし、行っているのはあくまでも全体としての序列を保った中での取り組みであり、序列を維持した中での全体の改革・向上なのであって、突出した個の存在は論外なのです。
以前、我が国では財務省(当時、大蔵省)が銀行を「護送船団方式」で守っていると大きな批判を浴びました。その後、金融制度改革の名のもとに、その方式が廃止され、銀行の大胆な再編・統合が実施され今日に至っていますが、国立大学においてはいまだに同様の方式が維持・継続されているのです。
文科省と国立大学の関係はよく、「過保護な親」と「甘えた子」に例えられますが、この方式を未だに是とし、継続している姿はその実態を如実に表しています。
(結論)
以上から分かるのは、文科省は対外的に大学改革の必要性を訴えてはいますが、実はその省自体が、改革を阻む主要因であったということです。文科省がもし内外の声に真摯に応え、大学改革を真に大学に求めようとするのであれば、まずこの実態を認識・反省し、悪弊を除去することが必要でしょう。
もはや猶予はありません。
早急にこれに取り組むことが社会から求められる国立大学となるための道であるし、その姿に国立大学のみならず私立大学も認識を改め、具体的な対応に乗り出すでしょう。半面、それをこのまま実施しないのであれば最早、文科省が国立大学を監督する必要性はないと言っても過言ではありません。

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