現在を基準に未来を語る愚(プログラミング教育)

プログラミング教育の危うさ
 新しい学習指導要領の下、プログラミング教育が小学校から必修化されることとなった。これは「あらゆる活動においてコンピュータ等を活用することが求められるこれからの社会を生きていく」うえで、「コンピュータを理解し上手に活用していく力を身に付けることは極めて重要」であるとの理由に基づくという。そこで、プログラミング的思考を育むこと、コンピュータに関する基本的な操作を身に付けることを求めている。

 確かにICTに関わる技術革新は急速に進展しており、society5.0やsingularity、さらには5Gから6G社会の到来といったことが予想・指摘されている中では、子供たちにそのような時代で生きていくための知識や技能が必要とされることは間違いないだろう。当然、教育が果たす役割は大きいが、その際、それが人材育成のための手段であり、目的に大きく左右されるものであることを忘れてはならない。

 つまり、これから必要とされる教育の内容・水準は、来るべき社会がどのようなものであると想定するかによって決まるのであって、将来の社会像についての具体的な検討が前提として重要・不可欠なのである。

 ところが、プログラミング教育として明らかにされた内容等を見ると、これが来るべき社会を想定して設定されたものとは思えず、これで本当に子供たちが「これからの社会を生きていく」ことが可能なのか疑問に思わざるを得ない。本稿はその懸念の根拠を具体的に明らかにするとともに、本来検討とされるべき事項・方向性を提案するものである。

来る社会はこれまでの延長線上にはない
 社会の変化が速く激しいため、将来を予想すること自体難しいが、特にコンピュータ及びネット環境の発展の仕方はリニア(線形)ではないことからその困難は尚更である。新しい技術や機器が突然現れて普及し、従来のモノが一挙に駆逐される。要するに、将来が過去の延長上にはない。

 実際、これまでの流れを具体的に概観すると、コンピュータは大きく、
 ㋑誕生・企業等での利用→
 ㋺PCという個人(愛好家)での利用→
 ㋩GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)による大衆化(操作のためのプログラム入力不要)→
 ㊁モバイル化
という流れをたどり、一方、ネットワーク関係は、
 a)ビッグコンピュータによる集中処理→
 b)個々のPCでの情報管理→
 c)シンクライアント→
 d)クラウド化・ワイヤレス(無線)化…
という変遷をたどってきていることが分かる。

 この分類の仕方には様々な考え方・異論があるだろうが、全体的に見ると段階ごとに大きな変化をしつつも「組織から個人へ」、「専門家から一般へ」、「所有から共有へ」、「有線から無線へ」といった流れにあることが見て取れることに大きな異論はないだろう。

 ただし、だからと言って次に来る変化を予想することができるわけではなく、むしろ逆に、これからの社会をこのような流れの延長上に想定することが誤りであることははっきりしている。少なくともそれが、現在とは大きく異なるものであることだけは間違いない。その違いを表すキーワードとして「超高速化・平行作業化・AI化」があることは多くの有識者が既に指摘しているところだ。

 当然、そのような場では現在の機器や技術・操作法の大半が時代遅れとなっている。ところが、今回、プログラミング教育の内容として提示されているものはことごとく現在の技術・機器を前提としている。これらは子供たちが社会に出たときに既に時代遅れとなっている遺物の操作法を苦労して習得することに等しく、これがいかに馬鹿げているかは言うまでもない。

将来の姿とのギャップ
 例えば、現在のオフィスでは各自がPCを操作しているが、若者は日常でPCなど使わず、スマホやタブレットを使って、様々な情報の検索や送受信を行っている。その際、文字入力はPCでのように両手でキーボードを使うのではなく、画面に映る文字列に片手(親指や人差し指一本)でフリック入力を行っている。キーボードでの入力はそれまで人々がタイプライターやワープロに慣れていたため、PCでもそれを利用したに過ぎない(①)。

 ところが、今や若者はポータブルな機器での片手でのフリック入力に慣れ親しみ、キーボードを使わない(②)。こうした若者が(フリック入力ではできない操作が数多く残るのであれば格だが)わざわざ好んでキーボード入力を行うとは考えられず、むしろ、こうした現状や要望に応じてオフィス等での機器もデスクトップからポータブル型へと代わり、入力法もフリック入力に適応するようになると考えるのが普通であり、これこそ商品・機器開発の歴史ではないか(③)。

 いやむしろ、将来はタッチパネルへのペンを使った入力や、音声をAIが認識して入力する方法にとって代わられるようになることも十分予想されることを念頭におけば、子供たちにはこうした環境へこそ備えさせるべきだろう(④)。

 プログラミング言語についても同様だ。「あらゆる活動においてコンピュータ等を活用することが求められる」ため、コンピュータ操作のためのプログラミングの基本を身に着けておく必要があると言う。確かにコンピュータの発達の過程で、PCの登場によりコンピュータは個人のものとなったが、当初、それを動かすにはBASICやFORTRANといったプログラミング言語を自分で入力しなければならなかった。それが専門家や愛好家等の楽しみの一つでもあった反面、PCの利用が一部の人に限られた要因ともなっていた。

 ところが基本OSの開発に加え、GUIを利用したアイコンが導入され、ワンクリックで複雑な操作が可能となったことで、一挙に一般の人々がPCを日常的に手軽に使えるようになったのは良く知られるところである。同じ操作を行うのであればより簡単で、早く、正確な方が好まれるのは当然だ。  

 今や、iPadに代表されるように、多くの機能を搭載しながら取り扱い説明書が付属されておらず、それでも幼児からお年寄りまでが苦も無く操作できる機器が増えている。この動きは今後さらに進み、遂には音声による指示や身振りをAIが理解・変換し、意図に沿った操作を行うことが一般的になるだろう(⑤)。

 つまり、現在でも不要とされているコンピュータ操作のための独特の言語・操作法を理解・使用する必要は全くなくなるのだ。こういう指摘に対して、時代や技術が進んでもコンピュータ操作の基本として、これらの言語を理解する必要があるとの意見が述べられることがある。しかし、これは車について、AT車が大半となっている現在に、基礎として重要だからとトランスミッションの仕組みを学び、シフトチェンジ(クラッチ操作)ができるように練習すべきだと述べているのと等しいと理解すれば、如何に一般の要望・状況とかけ離れた、現状に執着した当事者のエゴに基づく主張であるかがわかるだろう。

 確かにこれらはあくまでも一素人による予想に過ぎない。しかし、コンピュータ等の発展・普及の歴史を踏まえてその先を少しでも考えれば、キーボード操作によるプログラム入力という現在の姿は明らかに時代遅れとなっていることは容易に判断できる(⑥)。そして、そのような素人でも時代遅れだと判断できるような教育が義務教育段階から行われようとしているからこそ問題は深刻なのだ(⑦)

教育の中身の問題
 冒頭に述べたように、教育とは手段であり、目的によってその内容・適否は大きく影響を受ける以上、コンピュータに係る環境が今後も大きく変わり続けるのに応じて、まず目標時期を設定し、そこで必要とされる知識・能力を特定し、それらを育成する教育が行われるべきであることは明らかである。ところが、プログラミング教育ではこれまで述べたように現在の環境を前提として、それに沿った方針や内容・水準等を定めているに過ぎず、内容も曖昧だ。それを以下で検証したい。

 文科省はプログラミング教育の趣旨・内容等を全国の教員に周知するため、「小学校プログラミング教育の手引き」を作成し公表(⑧)するとともに、これに基づく講習等も実施しているので、ここではそれを検討の対象とする。

p1「コンピュータをより適切、効果的に活用していくためには、その仕組みを知ることが重要です」   
 自動車や家電しかり、日常生活では大半の機器について仕組みを知らずに利用し、生活しているのであって、逆に仕組みを知らなくても容易に操作できることでこれらは普及してきた。
 しかも、上述した通り、iPadのように取り扱い説明書すらなくても体感的に利用できることがこれからの機器が進む方向である(⑨)のに、コンピュータについてわざわざ仕組みを知る必要があるとする根拠はどこにあるのか。

 なるほど、プログラマーやシステムエンジニアとして活躍する人などは、こうした知識や技能を必要とするかもしれないが、学校を卒業した者が全員そのような職業に就くわけではない。およそ学校教育として実施する上では、「全員に必要なこと」と「一部に必要なこと」は厳密に区別をしたうえで、前者に限るべきことは言うまでもない(⑩)。

p1プログラミングの能力を開花させ、創造力を発揮して、起業する若者や特許を取得する子供も現
 れています
 まるで誇大広告のような文面である。
 まず、プログラミング能力の開花が創造力とどう結びつくのかが不明だ。これでは創造力発揮にはプログラム能力が不可欠であるとの誤解を与える。また、起業や特許取得には様々な力が必要であるのに、それらの中でプログラミング能力が最も重要であるかような印象すら与える。

 そもそも、これまで起業をした若者等の中にはプログラミング教育を受けなかった者も少なからずいたことを踏まえれば、ここで述べるべきことは、プログラミング教育を受けた子の中に起業等をする子「も」現れているということではなく、プログラミング教育によってこのような子が「どれだけ」増えるのかということであろう。そうでなければ説得力はなく、記述する意味はない。

 起業をした若者等の中には、プログラミング教育が有効であった者がいたことは事実だろうが、全員が起業等をするわけでもなく、それが教育の目的でもない。また、起業にはプログラミング教育が不可欠であったわけでもない。要するに一例に過ぎない。

 ここでも「一部」に対して有効であることを根拠(但し、本当に有効かは曖昧)にして、「どの子 にも」一律の教育を実施することを求めているが、上述した通り、およそ学校教育として実施される以上、「全ての子どもに必要なこと」を特定し、それに重点が絞られるべきであって、その点から考えるとこの記述、ひいてはプログラミング教育の必要性が見直されるべきであることは明らかだろう。

p1「諸外国においても、初等教育の段階からプログラミング教育を導入する動きが見られます。」   
 外国が行っているから我が国も、というのは根拠としてあまりに貧弱であることは言うまでもない。まず、諸外国というのが何か国で、世界の中でどれだけの比率を占めているのかが不明では「そういう国もある」といった情報にとどまり、それが多数なのか、増加傾向にあるのかもわからないため、必要性を訴えるには甚だ不十分だ。数の多寡ではないとの反論があるのかもしれない。それを認めた上ですら、上述したように、教育とは当該国が目指す国家像を実現するための人材を育成するための手段であって、国家像によってその内容・水準は大きく変わることを踏まえ、それぞれの国がどういう国家を目指しているか、その効率的な実現に向けプログラミング教育がどのように位置づけられているかを検証せずにただ当該教育が実施されているとの表面だけをとらえることには何の意味もない。

 また、諸外国といっても我が国のように統一的な教育基準を定めている国は少ないことを踏まえず、国内で当該取り組みをしている例があることをもって導入国としてカウントして、あたかも国を挙げた取り組みをしているかのように思わせているのであれば関係者をだましていることに等しいと言えよう。

p11「コンピュータに自分が考える動作をさせるには…も試行錯誤しながら考えていきます。」 
 プログラミング的思考の内容を具体的に説明するためにコンピュータを動作させるための手順を5段階に渡って説明しているが、その内容はこれまでの教育で育成している論理的思考と何が、どう違うのかが不明である。例えば、グループ討論の場面での手順と比べてみよう。各手順の白地の番号がコンピュータを動作させるための手順として例示されたものであり、下段の黒地の番号が対応するグループ討論での手順である。

 (①)コンピュータにどのような動きをさせたいのかという自らの意図を明確にする
 ❶ 相手グループとどのような議論(論点)に持ち込みたいのかという自らの意図を明確にする                   
                  ↓
 (②)コンピュータにどのような動きをどのような順序でさせればよいのかを考える
 ❷ 相手グループとどのような議論をどのような順序でするようにすればよいのかを考える                                
                  ↓
 (③)一つ一つの動きを対応する命令(記号)に置き換える 
 ❸ 一つ一つの議論(論点)を対応するキーワードに置き換える                  
                  ↓
 (④)これらの命令(記号)をどのように組み合わせれば自分が考える動作を実現できるかを考える
 ❹これらのキーワードをどのように組み合わせれば自分が考える議論を展開でき(結論へ導け)る 
 かを考える
                  ↓
 (⑤)その命令(記号)の組み合わせをどのように改善すれば自分が考える動作により近づいていく
 のかを試行錯誤しながら考える
 ❺ そのキーワードの組み合わせをどのように改善すれば自分が考える議論・結論により近づいてい
 くのかを想定問答を繰り返しながら考える。

 一見して明らかなように、両者に手順の差はほとんどない。しかも、コンピュータが指示通りに動くのに対し、実際の討論では想定とは違った答えや意見・質問が返ってくることが往々にしてあり、それらに即時に対応することが求められることを考えれば状況は一層複雑である。こうした教育・訓練をすでに受けている中で、それよりも水準の低い活動を新たに開始しなければならない理由が全く理解できない。     

 さらに、本手引きではコンピュータを動かすには誰もがプログラムを入力する必要があるかのように記述されているが、既に繰り返し述べたように、現在ですら多くの機器は利用者がプログラムを入力せずに利用しているのであって、この傾向は益々進む。

 また、プログラムの作成自体についても、今後は(アセンブリな)機械語・記号型ではなく、(コンパイル型の)日常語・会話(音声)で可能となるだろうから現在のような方法が必要になるとは思えない。加えて、AIの発達により、コンピュータの方が入力者の意図を判断し、より適切・効率的なプログラムを提案してくるようになるはずなので、全員が「自分が考える動作に近づいていくのかを試行錯誤」する必要もなくなる(⑪)。およそここで想定されている内容は時代遅れで子どもたちにとって役立たないものばかりなのだ。

p12「正多角形」を書く場合について考える 
 上記のコンピュータに「自分が考える動作をさせる」ための手順の具体例として正三角形を書かせる場合が記載されているが、これがなぜ児童一人ひとりが考える動作に適応していると言えるのか。 
     「小学校プログラミング教育の手引きp21」
 まず、なぜ最初に100進む方向が右と決まっているのか。
 児童が考え、書きたいと思った正三角形は横に倒れたものであったり、傾いていたり、上下が逆のものであったりと色々であるはずだ。また、それらを描く線の種類や太さ・色等も様々であろう。これらに応じることが「自分が考える動作をさせる」ことであるはずが、例示されたプログラムで描くとp21に示されたものにしかならないのは大きな矛盾であり、これではただ、自分の希望とは別に既定のプログラムを操作するに過ぎない。

 これで「創造力を発揮」するようになるとは到底思えない。しかも、既に様々な図形ソフトが発行されているので、それを使えば拡大と回転の操作だけで様々な正三角形が描ける上、さらに今後はAIによって「正三角形を描く」と言うか、ペンで三角形を書き各辺が等しいと示せば済むようになることを考えると、例示の作業は何のために行うのか理解しがたい。

p17「プログラミング教育全体において児童がコンピュータをほとんど用いないということは望ましくない」
 プログラミング教育を必修化する以上、方向性としてはその通りだろうが、そもそも長年に渡って掲げてきた児童生徒1人当たりのコンピュータの台数目標も達成されない上(⑫)、ネット環境も不十分な中で現場に一方的に対応を求めるのは働き方改革が求められている中にあって教員に負担のみを強いるものであり、時代に逆行している。

 なお、これまで繰り返し述べてきた通り、これからの社会では現在のような(卓上型)コンピュータは姿を消し、一部の専門人材用に残るだけになる上、キーボードでの入力もなくなり、音声やペン入力に代わる中で、現行のコンピュータの操作法を身に着けることにどれだけの意義があるか疑問である。

 むしろ、上述の通り、今後コンピュータの形状や機能が大きく変わるなかでは、現行のコンピュータを用いずに必要とされる能力を育成する方法の方が有意義で必要な方向ではないのか。

 以上、問題点のいくつかを思いつくまま列挙したが、これとは別に「円滑な実施に向けた工程例」では、2018年の特定校での先行実施で19年度以降に必要なリソースを把握し、19年度の特定教師の先行実施で20年度の全面実施に必要なリソースを把握するとしているが、これは必要なリソースが事前にわからないままで全国必修化を決定していることを物語っているのに加え、先行実施の結果、必要だと把握した量・水準が全部措置されるかが不明なのにも関わらず実施だけが決定されている(=条件が整っていない中での実施が想定)という大きな矛盾を露呈していることに等しい。

 個々の問題点を挙げた後で、根本的な問題を挙げるなら、そもそも、これまでも情報教育、ICT教育…と様々な取り組みが進められてきたが、その成果は一切不明であり、現場には徒労感が残ったであろう。これを踏まえた上で、今次プログラミング教育がこれまでとは違い、具体的成果があがることを明確に示さねば、本施策の実施に理解も協力も得られないと思われるが、これへの対応が全くなされていないことである。

実施のための環境・条件の不備
 新たな教科を立ち上げるのではなく、既存教科の指導の中でプログラミング教育を実践するといい、具体的な対応の仕方は各学校に任せるという。一見、柔軟な対応に見えるが、要は学校に丸投げであり、特に教員の多忙が問題視されている中で、教員負担増になるのは大きな矛盾であろう。  

 加えて、PCの扱いに慣れていない教員に対して、手引きによる理解・対応を求めるのは、多機能な電子黒板が導入されながら、その操作方法・用語を手引きで理解するのが苦痛であったため、活用が進まなかった反省が生かされていない。機器・教材の開発に際しては、利用者である教員の要望を聞き、反映する必要があるのに、教育機器・教材についてはそうした活動はほとんどなく、供給者側の意向で開発が勝手に進められることが続いている

 このままではAIに淘汰される人材を公費で懸命に育成しようとしているに等しいのではないか、という危惧が拭えないのだ。

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① PCのために開発されたものではない証拠に、文字配列はワープロ等のままである。
② 現在、学校でPC操作を習ったり、学校の指示で宿題をPCで提出するためキーボード操作を行ったりしている 
 が、彼らに聞くと「キーボードは面倒くさい」との声を多く聞く。

③ このような動きと一線を画すのが教育機器業界であり、メーカーが利用者である教員の要望も聞かず、自分た
 ちが望む様々な機能を搭載した機器や教材(ハードやソフト)を開発し、それらの複
雑な操作法を習得するため
 には研修が必要であるとまでしながら、それらの利用が進まないことに
不平を述べている。まさに岡本薫氏が既
 に20年前に指摘(「学校情報化のマネジメント」p83~
94)しているようにニーズやコストを無視した特異な
 業界である。)

④ 子供たちに備えさせるより、生まれながらデジタル機器に囲まれて育った「デジタルネイティブ」である子供
 たちのほうが教師よりはるかに機器の扱いに慣れていることを踏まえれば、備えは教師の側にこそ必要となろ
 う。

⑤ 「アベンジャーズ」や「マイノリティリポート」と言った映画でそうした環境をすでに多くの若者が目にし、
 当然のことと受け止めている)

⑥ ここで例示したものはいずれも機器に「入力」することが前提となっているが、日経新聞に掲載されたよう
 に、すでに脳波をセンサーで読み取りロボットを動かす研究が実用化に向けて進んでいる(RI.11.20第11面)
 のであって、念ずることでコンピュータを操作することすら可能となるのも遠くない。ただし、右研究では、
 「ロボットをうまく扱える人と苦手な人がはっきりと分かれた」ということであるので、これに対応した教育・
 訓練を検討することこそが急がれよう。)

⑦ 少し考えれば誰にでも分かりそうなことが国の事業として実施されようとしているのは、果たして事情を全て
 理解しながら、「プログラミング教育」の名の下、型落ちとなった機材・プログラムソフトを処分するために学
 校が利用されようとしているのではないかと疑いたくなる)。⑧http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2018/11/06/1403162_02_1.pdf

⑨ 岡本・学校情報化のマネジメントP31.83
⑩ すでに文章作成で文法上の誤りや誤記の訂正を行ったり、クッキーによる利用者の好みに基づく商品提案など
 が行われたりしているように状況はどんどん進み、変わりつつある。

⑪ 同様の問題は小学校英語教育等様々な事項で見られる。いわば、教育政策が共通して抱える問題と言える。
⑫ 総理の意向を踏まえ、令和元年度の補正予算で一人一台の実現に向けた予算措置が行われたが、どのような
 PCを導入するのか、それを操作・指導できる教員はいるのか等の課題が何も解決されていない。これでは予算
 化の過程で指摘されたように、かつて学校現場に多数導入されながら大半が使われないままで終わっている電子
 黒板と同様の道をたどる惧れがあることは想像に難くない。また、ギガ網整備を目指している一方で、セキュリ
 ティやフィルタリング対応が不備なため、貴重な児童生徒及び保護者の個人情報がたやすく抜かれる恐れあり。 (これらについては既に文科省と総務省とが合同で実施した「フューチャースクール事業」で実証事業を行い、必
 要とされるトラフィック、留意すべき事項等を整理しているにもかかわらず、その結果がまるで生かされていな
 いのは残念な限り。

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