真の私学振興策とは…

文科省報告書の特徴
 文部科学省は平成29年5月に「私立大学等の振興に関する<議論のまとめ>」という報告書(以下、「まとめ」という。)を公表しました。その目的は全国の大学の約8割、全学生の約7割を占める私立大学の「振興の方向性と今後の振興方策を明らかにすること」にあるとされているのですが、その内容は目的を充分満たしたものとなっているとは言い難いと言わざるを得ません。

 なるほど、「私立大学がこれまで果たしてきた役割」を明示しつつ、「私立大学を取り巻く状況の変化と課題」を踏まえ「今後の私立大学振興の方向性」を述べるという構成は説得力を持ちますが、記述量をみると「役割」は全体の約30分の1程度しかない(全15ページの中で半ページ分)反面、「変化と課題」にはその倍が割かれています。

 これでは、私立大学には問題の方が多いと言わんばかりです。さらに報告書の大半を占める「方向性」は「ガバナンスの在り方」「経営力の強化」「経営困難な状況への対応」の三つが柱で、現在の組織・運営・経営基盤の改善が中心となっています。従って、大学の主たる業務である教育研究等を改善・向上する上での具体的な方向性に言及した内容は見られず、わずかに「各大学における教育条件や研究環境の向上に向けた取組を促進する方策の検討」といった文言が見られる程度です。

 それ以外の方策として散見されるのは「理事会機能の実質化・実効性を確保することが必要(①)」であるとか、「分かりやすく開かれた情報の公開を推進する必要がある」といった、私立大のみならず、国立大学に対しても求められる内容です。「まとめ」は「私立大学等の」と題してはいるものの(「等」の意味が不明であり、これでは国立大学も対象としていたのかと思わずにはいられません)、私立大学に焦点を絞った方策は「経営困難な状況への対応」に見られるだけです。

 既に全体の4割の私立大学が定員割れを起こしており、平成30年から再び18歳人口の急減期を迎える中ではこの数がさらに増え、「経営困難な状況に陥る学校法人が増加することが懸念される」ことを踏まえて、こうした状況への対応策に関する記述が必要とされることは理解できます。

 しかし、数から言えばこうした例はまだ比較的少数であり、経営困難な状況にまで陥っているのはさらにその一部であって、大半の学校は厳しい環境の中で、堅実な経営を続けています。であれば、これらの学校が今後、より教育研究を充実させ、安定した基盤を構築し発展できるように、進むべき教育研究の方向性を示すことこそが求められるべきなのに、問題を抱えた学校への対処に重きが置かれているようであるのには違和感を覚えます。換言すれば、本まとめは「下」ばかり見ていて、「振興」という「上」を向いた議論がない印象なのです。

来るべき時代への危惧
 人生100年時代が到来すると言われる中で、AIのもたらす影響によって「子どもたちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く(キャシー・デビットソン教授(ニューヨーク州立大学大学院センター)」、「今後、10~20年程度で、約47%の仕事が自動化される可能性が高い(マイケル・A・オズボーン准教授(オックスフォード大学))」といった予測が数多くされています。これは当然、これから大学を卒業する学生が就くことになる職業にも当てはまります。事実、2015年12月に野村総合研究所が公表した「人口知能やロボット等による代替可能性が高い」職業には会計監査係員やCADオペレーター、行政事務員、電気通信技術者といった大学生卒業生の多くが従事している職業がいくつも見られます。

 我が国ではこうした職業に従事してきた、「社会の発展と安定に不可欠な極めて厚い中間層」の多くを私立大学が育成・排出してきたのであり、彼らが戦後の荒廃からの奇跡的な復興と、世界に類をみない高度成長を実現する原動力となってきたことは常識とされています。私立大学の果たしてきたこうした役割はもっと評価(「まとめ」に記載)されてしかるべきでしょう。

 ところが、こうした職業がAI化でなくなるか、代替されていくと言うのですから深刻です。先ほど言及した野村総合研究所の発表には「人口知能やロボット等による代替可能性が高い労働人口の割合」を日米英で比較した結果も掲載されていますが、それによると三カ国でその比率が最も高いのが日本(日本49%、次いで米国47%、英国35%の順)となっています。我が国の中間層の厚さを物語る数字と言えますが、それは同時に我が国が直面する危機感の強さを表してもいるのです。

 これまでの教育は我が国の発展を支えてきた中間層を数多く育成してはきましたが、それを続けていては、今後はAIに代替される人材を生むことにしかならないこと、しかも日本ではそのような境遇に直面する危険を抱える人口の比率が高いという事態を前にすれば、私立大学において教育を新たな「目標」の下に早急、かつ抜本的に見直す必要があるのは言うまでもありません。(さもなければ、時代とともに変化する学生のニーズに対応しきれない大学に対する反旗として1960年代末に引き起こされた「大学紛争」が再び起きる可能性すらあるでしょう。)本来、「まとめ」はこの点についての記述を充実すべきであるのに、それが欠けていることは述べた通りです。

求められる方策と条件
 従って、今後の私立大学に求められる教育研究の具体的方向性・内容・水準についての検討が必要とされるのですが、実はそれを行う上で前提となる重要な事項が置き去りにされたままとなっているのです。

 これからの我が国を担う人材の育成に関わる事柄として、大学全体で検討すべき事柄であるにも関わらず、国公立大学との共通の場での役割分担についての議論が未定のままです。具体的な検討を行うには、まず、国全体として、今後、どのような能力を、どの水準で修得している人材が、どの程度必要となるかという具体的な見通し・目標を立てた上で、私立大学が育成を担うのはどの部分かを明らかにしていかなければなりません。

 これに対し、「まとめ」は「国公私の設置者別の役割分担の在り方等を含め、高等教育全体を見通した高等教育の将来像の検討」が「本検討会議で示された私立大学の振興の方向性を勘案した検討が行われることを期待する」としています。議論の順番が逆です。

 森(大学全体としての姿)を抜きに、木(問題のある私立大学への対応)を見ようとしているため、自ずと内容が冒頭に指摘したような限定的なものにならざるを得なかったのでしょう。

 従って、森についての議論をまず行う必要があるのですが、これまでとは違う環境での在り方を検討することになるため、そこでは教育関係者のみならず幅広い領域の専門家、様々な産業分野の有識者等、多様な知見を基にした、総合的な検討が不可欠となるでしょう。我が国及び世界の将来像については既に様々な提言・予測・報道も行われています。検討内容にも大きく影響を及ぼすものであるそれらについては、事前に十分な検証を行うことも欠かせないでしょう。こうしたことを踏まえると、結論を得るまでに相当の時間が必要となります。一刻の猶予もならないのです。

 実は、私立大学を含めた高等教育の将来構想については文科省において別途議論が進められています。しかし、そこで配布された「高等教育の将来構想に関する参考資料」を見ても「社会全体の構造の変化」が取り上げられている一方で、「高等教育の規模と地域間格差」「各国の大学の在籍状況と公財政教育支出」といった内容が大半となっています。「分野別の入学定員と卒業進路」「進学者数等の推計」という項目もありはしますが、全体に占める分量は少ない上、ただ統計数値が並ぶだけで、これまで述べてきたような、従来の発想を超え、新たな時代に適した教育目標や内容・質に関する議論を喚起するような知見は示されておらず、不安を禁じ得ません。

不可欠な視点
 なお、教育目標や内容について上述の議論が行われる場合も注意が必要です。岡本薫氏が明確に指摘しているように、我が国においては高等教育を含めて「<できれば教えた方がいいこと>が非常に多いため、目標が<総花的なもの>になりがち」です。

 教育内容を検討する上では「具体的な目標」を設定することが必要ですが、「<目指すべきもの>を設定するとは、同時に<目指さないもの>も特定すること」であり、「時間や予算などの資源が無限でない限り<目標設定>とは常に<選択>であり、<目指さないもの>を議論することの方がむしろ重要」(②)です。

 ところがこれまでは現行の教育を縮小・廃止(スクラップ)することなしに、新しい教育が次々と追加し続けられてきました。この点を充分留意しないと、私立大学に経営力の強化を求めていながら、議論の結果であるとして、新たに必要とされる教育のみが掲げられ、人的・物的・財政的負担の追加ばかりを求めるということになりかねません。こうしたこれまで同様の事態を招くことがないように、審議の行方を注目する必要があります。

 また、私立大学の教育目標や内容という「質」の抜本的な見直しを行うことは同時に、現在の学部・分野構成の在り方や規模という「量」を見直すことにもなります。我が国では、最近は保健・福祉や国際関係といった新しい分野の学部が増えたため、かなり様相は変わりましたが、それでも工学部の規模が相対的に大きく、また、私立大学では人文科学・社会科学で5割以上の学生を占めているという特徴があります。

 これらの要因については、多くの研究者が明らかにしている通り、前者については「明治以来この国を富ます(富国)ため、常に」「中央政府が方向性を示して工学教育を推進してきた(③)たためであり、「私立セクターもまた、政府のなりふり構わぬ理工系拡充政策の衝撃を免れることはでき」ず、「工学系専門学校の大量新設は、そうした政府の強権的な措置に基づいて推進され(④)」た挙句、これらの多くが戦後、新制大学に昇格したことが挙げられます。

 また、戦後も早期復興と経済成長のために多くの技術者・技能者を養成・確保することが必要とされ、経済からも強い要請があったことを受けて科学技術系大学学部・学科等の拡充と学生定員の増員が実施されてきました。後者については、私立大学の前身であり「近代国家の専門職業人を目指す人たちのための学校であった」専門学校が、官学では「到底、増大する人材養成の需要に応えることができなかった」中において、「官学とは異なった独自の理念や教育内容をもつものや、あるいは官学の補完的な役割を果たすもの、国家資格試験の予備校的なものなども数多く存在(⑤)」していたことが一つの背景となっています。

 いずれも長い歴史的な経緯を経た結果ではありますが、少子化に加え、産業構造が変化する中で、新たに必要とされる、従来とは異なった内容・水準の教育を修了した人材への需要に適した学部・分野の量的規模・構成が求められるのは当然ですから、「現在の」学部・分野について、縮小・削減(スクラップ)や新たな転換・再編(ビルド)も含めた見直しが求められるのは避けられません。

 このような動きは一大学での対応で済むことではなく、全国規模での調整が欠かせないものですから、当然、国が主導していくべきでしょう。工学教育推進を国が進めてきたこと及び私立専門学校誕生の背景に官学による人材育成の限界があったこと等を踏まえれば、その必要性は一層明らかです。これらはまさに経営に直結する重要事項です。ところが、「まとめ」には何も言及がないのです。

留意すべき事項
 このように、私立大学の教育研究の「質と量」について、抜本的な検討を行うことが今後の「振興」には欠かせませんが、その際、これまで見落とされがちであった2つの点に留意すべきでしょう。

 1点目は「私立大学の多様性への配慮」です。
「まとめ」でも言及している通り、「私立大学は、独自の建学の精神に基づく個性豊かな教育研究を行う機関として」、「各大学の建学の精神を生かした独自の校風による教育・研究」を実施してきました。こうした、異なる歴史や規模・実績をもつ大学が今では600校以上(平成29年度学校基本調査)あるのです。これらを全て私立大学として括り、一つの基準や方向性を当てはめることに、いかに無理があるかは言うまでもありません。

 ところが、実際に行われているのはそのような動きです。全大学の機能を、㋑世界を牽引する人材養成、㋺高度な教養と専門性を備えた先導的な人材養成、㋩高い実務能力を備えた人材養成、の3つに分化するというのです。これでは、全私立大学を国立大学に合わせてわずか3つに区分するということになりますので、「私立大学の特色を損ない、画一化を招く(黒田寿二・金沢工業大学学園長)」という反発の声がでるというのも当然です。いかに優れた提言を行おうともこれでは「自校には関係がない(薄い)」事柄だと認識されて積極的に受け止めてもらえずに終わることが充分に予想されます。

 これを踏まえれば、今後求められる教育の「質と量」を考える場合にも、規模や分野、設置理念・地域の実情等を踏まえて一定の区分を設け、それぞれに応じた事項を整理する必要があります。「まとめ」での「経営困難な状況への対応」も、各校に共通する内容だけでなく、そこに至る経緯や背景、地理的条件等様々な状況・条件に応じた処方箋が必要とされるのは言うまでもないことです。

  2点目が「私立大学に対する姿勢の改善」ですが、これは更に重要な事項です。
 なぜなら、私立大学を真に「振興」する方策の策定に向けた具体的・真摯な検討が行われることが期待されるものの、現状ではその審議結果・提言が私立大学に十分には受け入れられないという懸念があるからです。というのも「政府の大学政策は相変わらず国立大学政策であって、国の教育制度の中における私立大学あるいは公立大学の位置づけは曖昧なまま(⑥)」だからです。

 高等教育行政を担当していた元文部官僚の草原氏でさえこのように明言しているのです。しかも、文部科学省は私立大学が「我が国の学校教育において大きな役割をはたしてきた(まとめ)」と認めているにも関わらず、そこには国立大学と比べると極めて少ない財政支援しか行っていない上、それを毎年減額してきており、現在(平成27年度)には経常的経費に占める割合が10%を切るに至っています。だからこそ、国は私立大学の役割・貢献に見合った対応をしてきていないとして、「イコール・フッティング論」が叫ばれているのです。

 要するに私立大学側が国(文科省)に対して不信感を抱いていると言っても良いでしょう。

 私立側のこうした不信感が根強いことは制度面からも見ることができます。私立大学の中には附属学校をもつものも少なくありませんが、これらの学校は「学校教育法」に規定(第44条)するように「都道府県知事の所管に属する」ことになっています。

 また、「私立学校法」では「(私立大学及び私立高等専門学校以外の)私立学校並びに私立専修学校及び私立各種学校」の所管庁を都道府県知事と規定(第4条)しているほか、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」では第22条で「長の職務権限」として、地方公共団体の長は大綱の策定に関する事務のほか、いくつかの教育に関する事務を管理・執行すると規定しており、その中に「私立学校に関すること」(第3号)が明示されています。

 即ち、地方教育行政においては、学校を所管する主体が二つに分かれているのです。その間の経緯については松坂浩史氏の「地方自治体における私学行政の所管主体に関する歴史的経緯とその意義(「首長主導改革と教育委員会制度」福村出版)」に詳しいですが、結論を述べれば、こうした制度は「地方自治体における教育行政を教育委員会に一元化する方向で議論がリードされてきたこと、そして、それに対して、私学関係者から<私学の自主性の観点から>反対する声が上げられてきた」結果であり、「私学団体では、<(1)財政事情・行政改革等、合理化の名の下に画一的な指導がおこなわれ、私立大学の自主性・独自性や教育内容の特質が失われる、(2)経営に対する干渉・官僚統制の危険性がある>として強く反対する旨の意見表明を行った(⑥)」結果であるとしています。

 現役の文部官僚である同氏には明言することは難しかったでしょうが、私学側が公立学校主体の教育委員会に対して不信感を抱いていたことは読み取れます。この二元的な地方行政制度が成立したのと同様の考えを助長する動きが、現在、進んでいることは憂慮すべきでしょう。私立大学側の不信は軽減するより、増しているといった方が良いかもしれません。

 このような中でどんな提言を打ち出しても「聞く耳を持たない」という姿勢を取られかねず、そうされても仕方がないでしょう。まずは、国立大学中心であったこれまでの姿勢・対応を見直し、私立大学の果たしてきた役割に対する充分な認識の上に、それに応じた在り方を整理する必要があるでしょう。経常費補助金については増額が好ましいのは勿論ですが、国家財政が逼迫している中にあって実現はなかなか難しいかもしれません。努力を続けるのは当然として、それ以上に、まず国公私の役割分担(国公私の差についての基本的な考え方や方針)を明確にすることが、その増額の必要性を訴える上で重要ですし、私立大学側の理解を得ることにもつながるはずです。

 私立大学の「振興」を唱えるのであれば、国にはそれに相応しい意識と態度が求められるのであり、それこそが、真の「振興」策への第一歩になるでしょう。

補足
 現在、定員割れを起こしている私立大学は全体の4割に達しており、今後、その数が増えることが懸念されています。確かに深刻な問題です(⑧)が、その対応を私立大学側にばかり求めるのには違和感があります。仮に各大学が自由、勝手に設置されたのであれば格別、実際には文科省による審査を経て認可を得ているのです。審査手続きが以前より大幅に緩和・弾力化されたとはいえ、審議会による検討も行われています。こうして認可を得た大学が定員割れを起こした責を大学側にばかり求めるのは適正なのでしょうか。特に、定員割れをしている大学の多くは、「新設」「小規模」「地方」という条件を満たすと言い、中には開設から数年で定員割れに至っている大学もあります。このような大学に、認可までの過程でどれだけの審査が行われたのでしょうか。その際の判断はどこまで適切だったのでしょうか。

 現在、国会では某獣医学部の開設に伴う過程が問題とされていますが、それに関して、文科省の元次官が「大学・学部認可に際しては、当該分野の需要・必要性を充分に検討した上で判断を行っている(が、今般の事例は当該判断とは異なる決定が行われた)」との発言を行っていることを踏まえればより問題点は明確です。

 認可という行政行為を行った責任についてもっと議論が行われるべきではないでしょうか?

 

(注)
① 本稿は2017年に纏めたものですが、大学理事会の杜撰な運営が社会問題になったとは言え、それから5年も経
 たないうちに本報告書とは逆の、理事会機能の制限(評議員会の権限強化)を訴える提言が出されていることに
 は政策の一貫性が問われるのではないでしょうか。

② 岡本薫「日本を滅ぼす教育論議」講談社現代新書p93
③ 功刀滋「なぜ日本の大学には工学部が多いのか」講談社p292
④ 天野郁夫「新制大学の誕生」名古屋大学出版会p135
⑤ 草原克豪「日本の大学制度」弘文堂p41
⑥ 前掲書p222
⑦ 「首長主導改革と教育委員会制度」福村出版p256
⑧ 今後、学生が集まらず閉校する大学が増えるとの見通しが数多く提示されてきましたが、実際にはそのような
 事態はほとんど生じませんでした。その要因等について「日本の私立大学はなぜ生き残るのか(中公選書)」が
 詳細な分析を行っていますが、海外の研究者による指摘について、予測を外した国内の専門家はどう理解・受け
 止めているのでしょう。

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