30年以上に渡り教育行政に携わってきた中では、納得がいかなかったものや憤慨すらした業務も少なくない。
その中でも特筆すべきものを、「戦艦大和・武蔵、伊勢湾開拓、青函トンネル」を「昭和の3大バカ査定」だと総称するのに倣って「三大バカ作業」と名付けて紹介したい。
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何といっても、「民主党政権下での仕分け」は欠かせない。
確かに、与党の事業にどれほど税金が無駄に使われているかを明らかにするという趣旨で行った野党時代の仕分けに一定の意義はあった。しかし、それがマスコミで大きく扱われ、国民の関心も呼んだことに味を占めた民主党は、政権を取った後も同じ手法を取り続けた。
マスコミ受けを狙うあまりに、霞が関での判断・決定は全て誤りだという思想にとらわれ、自らの政権の大臣が認め、閣議決定を経て国会に提出した予算・事業が問題だと、与党自身が指摘するのだから無茶苦茶だ。一体、政権が国会に提出し、審議を求めた予算や法案は何だったのか。そこまでの作業は何の意味があったのか全く分からない。しかも、それらを民間議員の指摘・発言に基づいて修正することまで求められた挙句、修正内容は改めて党の幹部の了承を得る必要があるとされたのだからもはや三権分立すら無視だ。
結局、党内の意思決定プロセスの不備・混乱を露呈することになり、国民の支持を急速に失うこととなり、それが政権崩壊・離脱の大きな原因にもなったが、当然というにはあまりのお粗末さだった。民主党の支持率が伸びず、ひとけた台前半のままという状態が続いているのも納得としか言いようがない。あれから十年近くが経過するが、いまだに怒りがこみ上げてくる。
このような嫌な印象しかない「仕分け」の中で、唯一、良い思い出として記憶に残るのが、森田政務官(当時)の国会答弁だ。
当時は総務省に出向し、教育の情報化に向けた「フューチャースクール推進事業」に携わっていたが、仕分けでは毎回、「事業廃止」という結論が出ることに加え、委員から様々な意見を浴びせられていた。
このような状況を踏まえて、平成22年11月18日の参議院予算委員会で丸川珠代議員が次のように尋ねた。
「この事業仕分に関しましては…内閣の中からもたくさんの批判というものがでてきております。
例えば、フューチャースクール推進事業の仕分を受けた側である森田高総務政務官、…このフューチャースクール推進事業は今年六月に閣議決定されたものなんだと、生徒一人一台の情報端末による教育の推進と新成長戦略に書いてあるのに何で仕分をするんだといって怒っておられましたけれど…いかがでしょうか」
この質問に対する答弁である。冒頭、
「丸川議員に申し上げたいことがたくさん山のようにありますが、政務官としてどこまで話していいものかということもあります。」
として、与党の一員であるとの立場を十分意識されながら、仕分けの課題や問題点を冷静かつ客観的・公正に指摘されたうえで、こう述べられたのだ。
「もう一つ、最後です。
これは、総務省職員の名誉にかかわることだから私は言っておきます。
議論の過程で、こういう事業をやるのは省が焼け太りしたいからだと、担当者が利得を得んがためだと、そういう議論を振り回す方が何人かいらっしゃいました。
こういうことを容認していって、公の場の会議です。国家公務員がお国のために体を張って仕事をすることができるかと、そういうことは政府にいる人間だからこそ体を張ってかばっていかなければいけないと、私はそういうふうに思っております。」
TVでこの場面を目にした我々は感動の余り、自然に涙が流れたのを今でもはっきりと思い出す。
政治・政策決定の主体を官僚から、政治家・閣僚に戻すことが重要だとして、政治主導ということが叫ばれた。その理念は認めるが、実態は、国会での答弁を政治家に限ったり、省議で大臣等が幹部職員に罵声を浴びせる模様をマスコミに公開したりするなど、些末な、誤ったパフォーマンスが繰り広げられるばかりだった。
そのような中で、「政治主導」の真の姿を明確に表明された答弁としても極めて重要なものだった。
(しかし、これほどの名答弁ですら方針の見直し・転換に至らなかったのは残念で仕方がない。)
次に思い出すのが(思い出したくはないが)「7兆円騒動」だ。
我が国では教育に対する公費負担率が諸外国に比して低く、その差を埋めているのが家計負担であることが従来から問題視されていた。平成20年だったと思うが、教育に対する公費がGDPに占める割合についての国際的な調査結果から各国の平均が約5%であるのに対して、我が国のそれは約3.5%足らずであり、大きな差があることが明らかになったことが大きく報道され、社会的な関心も高まった。
そこで、我が国の公費負担額を諸外国平均並みの5%水準にまで引き上げることが必要だという機運が生じたことを受けて、これを実現するために必要な額の要求項目を並べるようにとの指示が省内全体に下された。「教育振興計画」の改定期であり、与党からの後押しもあったことも大きい。
しかし、GDP約500兆円の約1.5%相当額といえば約7.5兆円という巨額だ。消費税1%が税収約2.5兆円に等しいと言われていたので、消費税3%分にも相当する。これだけの規模の要求項目を、十分な検討もないまま、急遽取りまとめることになったのだから大騒ぎだ。
それぞれの担当部局でも、「本当にこんなことが要求できるのか」と半信半疑ながら、「実現するなら画期的だ!」とわずかな期待を胸に作業に努めた。結果、幼児教育や高校教育、さらに大学教育無償、学校施設耐震化、教職員定数増、国際文化センター建設…と、これでもかという項目・額が各局から出揃うことになった。
ところが、このような整理が終わった直後(平成20(2008)年5月29日)に、(読売)新聞に「バラマキ文科省案」という記事が掲載された。報道機関に要求内容を説明し、その理解と応援を得ようという考えだったのかもしれないが、「大盤振る舞いが目立つ」と記載するなど、記事は冷静かつ批判的な内容である。もしかすると、この動きを牽制しようとして、財務省が先手を打って情報を流したのかもしれない。
真相は知る由もないが、この報道を機に一挙に機運は萎え、要求項目を実現しようという動きは止んだ。(記事の印象が強かったので、朝刊の一面記事であると思っていたが、15年ぶりに確認すると、なんと夕刊の、しかも二面に掲載されていた記事だったのには驚いた。)
もっとも、従来から検討を重ね、内容を練っていた事項であるのなら格別、突然の作業要求に応え、急ごしらえで纏めた項目ばかりだった(だから、「ばらまき」と報道された)ので、財政当局でも一蹴されて終わっただろうが。
ともかく、泰山鳴動…というにも値しない(鼠一匹すら出ない)壮大な規模の無駄な作業として思い出に残るし、こんなことをしていて文科省は大丈夫なのか(十分に検討もしないこの程度の内容で予算が獲得できると思っていたのか)、と相当深刻に感じたのを思い出す。
(この前に「学制120周年を記念した大事業を行うので、金の心配はせずに、自由に大きな絵(企画)を考えろ」と指示されたことがあった。そこで、記念式典はもとより、衛星放送を使った国内外との同時会議や、記念教育情報センターの設置等を構想し、それに必要な経費を見積もるため、放送事業者を訪問したりもした。
ところが、その指示から間もなく「あの話はなしだ」と突然通告され、作業は中断することになった。一体、誰が構想し、どこで潰れたのか何もわからないまま、「何だったのだ?」という思いだけが募った。
但し、上記騒動は全省的に影響が及んだものであるのに比べ、こちらは自分一人(と思う)が迷惑を蒙っただけ)なので、被害の規模は比べ物にならない。)
三番目は「人事評価制度」だ。
国家公務員は、年功序列が基盤であり、能力よりも幹部による恣意的な評価で昇進が決まるとの批判があったことを受け、本人が評価結果に納得し、それにより職務への意欲の向上・事務処理の効率化を図ることを目的に新たな制度が導入された。
職位ごとに必要とされる態度・思考・能力が予め示されており、それを踏まえて、半期の自身の業務目標を記載する。その際、それが適正な内容・水準かについて上司の裁定を仰ぐ。
その後、日常業務に励むが、設定期間が満了すると、当初の目標の到達度を自己判定する。それに対して、上司が独自の観点から評価を下し、その結果を本人に伝える。その際、必要であれば面談を行うこともある。これで本人の納得が得られるということだった。
ところが、実際は何も変わらなかった。そもそも、予め設定されている態度・思考・能力等の水準内容があいまいであるうえ、それを大きく超えた/下回ったと判断できない限り、それを概ね満たした(評点はB(通常))と判断するように指示があるのだから当然だ。
評価結果について面談も行うことが想定されていたのだから、評価者の視点や判断を本人に説明し、納得を得ることが必要であるはずで、そのためには本人の長短に関する詳細な記述が欠かせず、またそれを補強する証拠・資料の取集に努める必要があるはずだが、水準から大きく逸脱しない限り「B」判定にせよ、というのでは、真面目に対応する必要がないと思うようになるのは当然だ。
評価実施から数年が経過した後に、各省庁の課長級を集めて、コンサルタント会社の人間が制度概要や評価の留意点を改めて説明する場があった。そこで「制度実施から数年が経過するが、この制度導入で当初の目的である、評価への満足度や業務効率はどの程度向上したのか」と尋ねたが、説明者はもとより制度担当者からも何の答えはなかった。
それでも相変わらず、自分の目標を設定し、自己評価を記入、部下の自己評価書を点検し、「B」判定を付した上、面談を行うという作業は続いた。各省で全職員が対象なので、それに要する労力・時間は膨大だ。検証も行われず、効果も分からない作業を行い続けなければならないのだから苦痛だ。
今でもあの作業は続いているのだろうか?これこそ、「働き方改革」のために無駄として、まず廃止すべきだろう。
組織の中に身を置けば、納得できないこと、無駄だと思われる作業に遭遇することも数多い。ところが、それらの中でも上記三つはその規模・内容・愚かさのどの点から見ても群を抜いていた。

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