コロナ禍に対する対応をはじめ、様々な課題へ対応する政策・方針等について政治家や官僚が説明を行う際、よく「…ということなので、ご理解ください」という言葉が用いられる。余りにも頻繁に使われているため、もはや違和感なく聞き過ごしている表現だが、実はそこには大変な問題が含まれている。
(語義)
そもそも、「理解する」とは広辞苑によれば「物事の道理をさとり知ること。意味をのみこむこと。物事がわかること」を意味する。また、「さとる」とは「物事の道理を明らかに知る」ことであり、「わかる」は「ことの筋道がはっきりする」とある。さらに「道理」は「物事のそうあるべきすじみち」だとされる。
しかもこれを「してください」と求める。この表現は相手に対して「誠意をこめて頼むこと」を意味するというが、「頼む」とは相手に実施を「懇願する」「求める」ことだ。
これらから明らかなように、「理解ください」とは、本来、「物事の筋道」が「はっきり」したと納得する主体的な行為を、他者から求められて行うという矛盾を抱えた上、その結果が検証されることもないまま、皆が「理解・了解した(反対しなかった)」と一方的に判断されることが前提となっている表現なのである。
(彼らはなぜこれを使うのか)
こう述べると、これがなぜ政官側から多用されているかが良くわかる。
ある政策等について彼ら(大半が男性なのでこう表記する)は一応、その目的や内容を説明するものの、その内容・方法が適切か適当かは問題でない。また、国民がそれらを理解できるか否かにも関心はない。彼らにとって重要なのは説明という「行為・形式」を行ったことという事実のみであり、それが行われて国民から明確な反対が表明されなかったのならば十分なのだ。それを「理解が得られた」と判断すれば、当該政策等を進めることができるのである。その意味では「理解していない」でいる方が望ましいとさえ言える。
一方的に(曖昧に)話すだけで相手の了解が得られたことになる、というのだから、なんと「効率的な」手続きであろう。
このような対応が行われる背景に、正しい政策を立案できるのは自分達だけであり、しかもその内容を国民が理解できるかは問題ではなく、自分達の思う通りに実行することが大事なのだ、という選民思想を感じるのは一人ではあるまい。「お上」や「天下り」という言葉が未だに用いられているように、彼らの中には自分達が「特権階級」「上級国民」だという意識を根強く持つ人がまだ多いのだろう。
(たかが表現、されど)
冒頭に記したように、これらの表現が使われても多くの人は特に問題とせず、常套句として聞き流しているが、それはそのまま、これを用いる者の認識・態度を是認していることになる。たかが表現上の言葉の使い方ではあると言うかもしれないが、そこにはその言葉を使った人の意図・真意が如実に表れている。
よく問題発言をした政治家等が「真意が伝わらなかった」と言って弁明するが、問題とされた言葉・表現こそ本人の真意を的確に表しているのだ。
だからこそ、そのような表現の不当性を指摘し、改めさせることが政治や行政を、国民に近づける一助となる。
そこで今後は「ご理解ください」と言われたなら、黙って過ごすのではなく、「なぜ、理解し(させられ)なければならないのだ、理解は他人に頼まれてするものではない。」と積極的に指摘し、逆に「我々が理解できるように(理解できるまで)そちらが説明をもっと十分かつ丁寧に行うべきではないのか」とはっきり要望すべきであろう。
それが従来の「思考停止」から脱し、自分達が納得できる政策・方針を獲得する途だ。
そのためにも、このような表現がもう行われることがないように、一人ひとりが政官からの発言に関心を寄せ監視を怠らないよう心掛けることが大事であることは言うまでもない。

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