入試の矛盾(東大を例に)

 大学入試については、各大学が個別に入試問題を作成するのが当たり前のように思われているが、そもそも本当に必要なのものなのかや、それを実施するには各大学がそこで行う教育内容・水準に照らした独自の基準・方針を設定し、それに基づく必要があるのに、実際にそれらを明確に設定した大学があるのか等について、実態を旧帝大の入試問題を例にとって別稿で明らかにした(「入試という虚構」)。

 先の検証が制度面からのものであったことから、本論はそれを補完するものとして、入試の方針や具体的な運営の問題について、我が国を代表する東大の入試を題材にして検討してみたい。

 東大の入試問題はその内容・水準の高さから常に高い評価を得ているが、同時に出題分野が広いことも特徴的だ。例えば、英語では要約、文法、リスニング、自由英作文、英文和訳と多岐に渡る領域から出題されている(①)。英語の能力を多様な視点から把握したいというのだろうが、ここで一つの疑問を感じる。

 すなわち、これだけ多様な能力を判定するということはそれが入学後の教育に必要だから、ということなのだろうが(実際には両者の関係は明らかではないが)、その際に、領域ごとに、これだけは獲得して欲しいという最低(足切り)点は設定されているのだろうか。そうでなく、広範な領域について能力を判定しながら、総合点で一定水準を超えて入れば合格とするのであれば、ある領域の能力が欠けている・足りなくても問題にされないことになるからだ。仮に試験結果を踏まえ、不足・欠如している分野の能力育成のための特別なカリキュラムが組まれるというのであれば格別、そのような対応が個別に行われているとは聞かない。

 この懸念は一教科内の問題に限らず、試験科目全体についても当てはまる。東大では英・数・国に加え、社会(文系)又は理科(理系)各2科目の計5科目を受験することになっているが、科目別の最低獲得必要点が設定されていなければ、これだけの科目を課す意味がないことになる。実際、理系でありながら、数学0点であったことを合格後に教授から伝えられたという作家の話が公開されている(②)。

 この方の場合、本人はバイオ系に進みたいとして理系を希望したが、数学が苦手だったため先生からは当初「文理選択を間違っていないか」と指摘されたという。ところが色々な人に聞いた結果「東大だったら数学が0点でも入れるかもしれない」とのことだったので、理系選択を貫いたという。要は「東大の2次試験(一般選抜)の数学は難しすぎるから、得意な人との点数差が開きにくい。そこで中間点を狙い、その分、国語や英語で満点を取ろうと思った」とのことだ。それを実施したお陰で?無事合格。しかも「数学は0点だった」らしい。そう教えた教授も理系でこの数学の点だったことに驚いたのだろう。

 さて、こうして入学はしたが、授業は「ちんぷんかんぷん」で、卒業後には文系就職することになったという。果たして、こうして合格を得ても、授業が分からずにいた挙句、学部を卒業できるという実態があることをどう考えるべきだろうか。
(問題にしているのは個人の就学・卒業ではなく、制度であることは言うまでもない。)

 後者の問題も大学における成績・修了判定がどう行われているかを物語って興味深いが、本論では特に前者を取り上げたい。これを単なるレアケースとして済ませるわけにはいかない。なぜなら、これを貴重な成功体験として受験予備校等が直ぐにこれを基にした受験対策を編み出すだろうからだ。今後に大きな影響を与えることは想像に難くない。一科目が0点でも他の科目でそれを補う高得点を獲得していることを評価すべきであるとの見方も確かにあろうが、0点があっても合格する試験科目構成とは一体何なのかこそを、個別に入試を課す意義・必要性と関連して問う必要があるのではないのか。

 また、入試結果については求めに応じて受験者に得点開示が行われているが、これも不可解だ。成る程、得点状況を公開することで公平・公正さを訴える効果があるし、不合格者も結果に納得しやすい面はあるだろう。

 だが、そこで示される数値は合格者の最低点と自分の得点との差であり、それが小数点以下第4位まで明記されている。結果、0.1点差以下で合格に届かなかったという受験生の声がネットに掲載されている。

 入試改革についてはかねてから1点刻みの合否判定の問題が指摘され、それを改善するために選択肢式から論述式へ出題形式を変更することが提言されたりしているが、入試の最高峰で実際に行われているのは、1点どころか、その1/10以下での合否の区分けなのだ。これを文科省はどう考えているのか。論述式の試験による結果だからと言って看過するのだろうか。しかも、この判定の基準となる模範解答は相変わらず公開されていない。そのような中で、受験生は0.1点差未満の不合格判定を納得しているのだろうか。

 このように、現行大学入試はその方針から具体的な運営に至るまで、合理性に欠けていて納得しがたい点や、あるべき方向とは矛盾した点が散見されるにも関わらず、それが所与として受け止められ、大きな批判もなく実施されている。ここに我が国における入試信仰の実態が垣間見られるが、当の大学がそれに安住した挙句、勝手な、自己満足の対応を受験生に課しているのが現状ではないか。

 18歳人口の急減・国際化やAIの進展により、大学をめぐる環境は急速に変わっており、そこにコロナ禍が拍車をかけた。今では大学での授業がネットを通じて保護者や受験生も視聴できるようになった。それがもたらす影響が国内の大学に大きく及ぶのも遠いことではない。それを待ってからでは外国大学の草刈り場となる恐れすらある。

 大学には伝統的な考えに拘泥することなく、柔軟・迅速な改革が求められている。国民の関心も高い入試はその中核として積極的な改革に早急に取り組むべきだろう。

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① 国語も、漢文のみならず現代文も含め何も出題がない大学が少なくない中にあって、東大は現代文(2問)
 ・古文・漢文と遍く出題している。しかも以前は、文系には現代文(3問)・古文(2問)・漢文(2問)の
 計7問が課せられていた。
② 東大理II「数学0点」で合格した大宮エリー 理数系が苦手でも「砂漠化する地球を救うため諦めたくな
 かった」(1/2)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

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