バブル崩壊後も長らく続く景気低迷から脱却できない理由として、我が国にはイノベーションが足りないということが良く言われる。特に、米国ではGAFAMのような巨大ITベンチャーがイノベーションを生み、それが経済をけん引しているのに対し、我が国ではそのような企業が一向に誕生しないことを問題視する声は多い。
その背景として、日米両国を比較すると、米国では優秀な生徒なほど起業しようとするのに対し、我が国では大企業に就職する率が高いことが昔からよく指摘される。
どちらも一定水準以上の高い収入・利益が得られることが期待されるが、後者に比べて前者はリスクが大きい。失敗に終わる率もずっと高いが、その分、成功した場合のリターンも大きくなる。このようなリスクを覚悟できるか、換言すれば失敗を恐れずに挑戦できるかがこの日米の学生の意識の差を生んでいると言えよう。
では、この差が生まれた原因は何なのか。複雑な要因が関係していることは間違いないが、およそ日本の学生が大企業を選ぶ理由は容易に想像がつく。彼ら/彼女らにとってそれらの企業は安定を象徴する存在であり、それが最大の関心事なのだ。倒産等の失敗・リスクの心配をする必要がないことが重要だとも言える。そして、これは、失敗することが悪であり恥であるので、それを避けたいという意識を基盤にしている。
その意識を皆が、どこで、どうやって身に着けるのかは、ある風景を思い浮かべれば容易に理解できる。
小学校のある授業での風景だ。教科は何でも良いが、仮に国語としよう。
先生:「教科書の〇行目で<太郎は笑った>とありますが、なぜ、太郎君は笑ったのでしょう。
分かる人?」
児童A:「ハイ。△△だから太郎は笑ったんだと思います!」
先生:「他に分かる人は?」
児童B:「◇◇だからじゃないですか?」
先生:「他には(別の答がある人)?」
児童C:「太郎が笑ったのは××だからです。」
先生:「そうですね。XXだから<太郎は笑った>のですね。皆さん、分かりましたか?」
…どこにでもある風景で、授業参観などでも目にすることができるものだが、ここに大きな原因が隠れている。それは何か(なお、児童としたのは、法令の規定で小学校生は(学齢)児童と言うからだ)。
先生からの質問に対して児童Aが率先して回答した。それは残念ながら「正解」ではなく、その後に答えた児童Bも間違っていた。結局、児童Cが正解を述べたのだが、この間の先生の対応が酷い。
児童AやBが自分の考えを他の児童より早く纏め、それを発表したにも関わらず、その積極性を評価することがない。また、両名の答を取り上げて、その内容・妥当性を生徒達に考えさせることもせず、誤答だとの判断で一蹴し省みることもない。これでは、当の児童のみならず周囲の児童も、それぞれの考えのどこまでが正しく、どこで間違えたのか、それはなぜなのかを検討・理解することができず、ただ単に「せっかく発言しても誤答は先生から無視され、恥ずかしい思いをする」との印象を与えるだけだ。
こうした経験を積み重ねれば、失敗をしないことが最優先事項となるのは当然だろう。教科に対する興味・関心も失う。国際的な意識調査結果で、我が国の児童・生徒(中高生)は「自己肯定感」を持つ割合が他国よりずっと低く、また、学年を進むにつれて教科・勉強への関心・意欲が薄くなっていることが度々明らかになっているが、それこそがこのような授業がどこでも行われていることを示していよう。
また、芥川龍之介が小学生の頃、「<美しいもの>の例を挙げよ」、という先生の指示に対して「雲」と答えたところ、美しいものというのは「花」や「富士山」であり、雲が美しいものだというのはおかしいと言って叱られたという話を高階秀爾氏が紹介している(「美しさの発見」について)が、現在でも「〇肉〇食」という問に「焼肉定食」、「雪が解けると何になる」に「春」とする答が誤答だとされ、否定されたという話は良く耳にする。いずれも社会的通念・常識が優先され、個人の理解・感覚が否定されている。
これらの中でイノベーション/ベンチャーへと続く自主性・積極性・独創性が育まれ、伸びるわけがない。龍之介少年は先生の叱責に納得せず、それに従うことなく自らの感性・発想を守ったため、大作家への途を歩むことができたのだろうが、誰もが同様のことをできるわけではない。
学習指導要領に基づき、「何を」教えるかが重視されるのは結構だが、子ども達がそれを理解するプロセス・理解の内容・程度を無視して、全員に画一的な「正解」だけを求めているのでは「個に応じた教育」とは真逆の、「国家統制的画一教育」を実施しているに過ぎない。
本来は、「誤答」だとされるものについても安易に否定せず、しっかりと取り上げ、それを正解と思った理由をしっかり聞き、合理的な点はしっかり評価するとともに、本人の気づいていない・足りない点を指摘しつつ、次回はそれを踏まえた回答をすることへの期待を語ることが必要だ。こうすることで、正解とは違う自分の答の中にも認められる点があるとの自信につながり、それが失敗を恐れることなく、次回も積極的に発言・対応しよう、次回は(先生が驚くような)もっと良い回答をしようという意欲・姿勢につながることになる。そのような経験をしないまま社会に出る者が多いことが、長く経済停滞が続く要因の一つにあるのではないか。
教育、特にそれを担う教師によって、我が国の将来が左右されるというのはお題目ではない。それ程、教師の役割は重要であることから、彼ら/彼女らの職場環境を改善することが重要であるのは勿論だが、それを効率的に進めるためにも各教師が上述のような言動・対応がないかを深く反省し、それを踏まえた改善を進めることが必要だろう。それが環境改善に対して多くの理解を得るとともに、何よりも和製S・ジョブズやE・マスクを生み、日本版GAFAMを誕生させてイノベーションを起こす最短の道に違いない。

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