専門家なら「根拠」を示せ

 コロナ禍は新たなオミクロン株の発生により、連日、過去最高の新規感染者数を記録するほどの広がりをみせ、収束の兆しは全く見えない。ほんの数か月前、昨年末には全国の感染者の合計が二桁台にまで下がっていたことなど、今からはとても信じられない。しかも、同時期に他の国ではどこも感染者が増加していたのであり、その中で我が国は世界的に見ても特異な状況にあった。

 一体、なぜそのようなことが起こったのか、可能であったのか。しかもそのような状況が、なぜ年が明けた途端に急変し、爆発的に新規感染者が増加することになったのか。また、それは予想された事態だったのか。これに対して何か方策は講じられたのか…。

 事態が急変する中でこのような基本的・素朴で肝心な疑問を誰もが抱いているのに、マスコミに登場し、また政府の検討会議に出席している「専門家」は誰もこれらに答えることなく、ただ「外出自粛」「マスク着用」「外食・飲酒制限」という従来からの対応を繰り返すばかりである。

これらは既に2年近くに渡って指摘され、実行してきた事柄であり、改めて言われるまでもなく誰もが十分に承知している。従って、皆が知りたいのはこれまでの経験・成果も踏まえた新たな、オミクロン株に適した効果的な対策であるのだが、依然としてこの程度のことしか述べることができないという実態を前にすると専門家に疑念を抱かざるを得ない。

 今回のコロナ禍が、人類がこれまで経験していなかった規模・内容の災害だということを考慮するにしても、これに対して専門家の行ってきた判断・対応には当初から不可解なものが多かった。

 まず、感染者が世界的に広がる中で、我が国の患者の死亡率が諸外国のそれに比してはるかに低いことが注目されていながら、その理由・原因は何も明らかになっておらず、挙句には未知の「ファクターX」という要素が要因なのではないかという、それでは何も解明していないと言っているに等しい説が唱えられたりもした。

 また、感染を防ぐ手段として「接触8割減」や「外食人数や時間・アルコール提供の制限」などが訴えられたが、満員電車での通勤が余儀なくされたままであり、食品・日用品の購入が不可欠な中、8割削減とはどの程度で、どうやって実行するのか等が不明なまま数字だけが提示された結果、本来は可能とされているはずの残り2割の接触も認められない印象を与え、往来から人通りが絶えることとなった。

飲食店の状況はさらに酷く、飲食可能な人数が4人までと5人以上、営業時間が20時までとそれ以降、アルコール提供の無と有…で感染の割合・程度にどの程度の差があるのか、それは他の区分(6人以上や22時以降)より明らかに有意な違いなのか等が一切不明なまま対応が決定・実施された。

 さらに、コロナの特効薬だとして、今となっては接種が半ば「常識」ともいえる扱いをされているワクチンだが、そもそもこれはワクチンと言えるのか。ワクチンとは、通常、「免疫原(抗原)として用いられる各種感染症の<弱毒菌・死菌または無毒化毒素>」を言う(広辞苑)。すなわち、弱毒・無毒化したコロナウィルスを接種して抗体を生じさせるのが本来のワクチンであるが、今回のものはそれとは異なり、ウィルスに対抗できるように遺伝子を組み換えることを目的にしている。この療法は新しく・画期的で、今のところ大きな効果を見せているとは言えるが、その影響が今後出ないとは言い切れない。害虫被害を防ぐとして開発された遺伝子を組み換え野菜が、一時期大きな話題となったが、その後、発がん性をもつ可能性があること等が欧米で大きく報道され(なぜか日本ではほとんど取り上げられなかったが)、また、環境への影響も懸念され、その安全性が厳しく審査されることになったことはまだ記憶に新しい。

 果たして、遺伝子を操作するという今回の療法が今後も人体に何の問題も生じさせないという保証はあるのか。それ以前に(これもほとんど報道されていないが)接種を原因とした死亡事例が多数あることを鑑みれば、果たして、ウィルスでの死亡者が少ない我が国でこれが本当に効果的・必須の対策であると言えるのだろうか。

 肝心なことは一切明らかにしない一方で、人々が不安を抱かぬようにするための方策としてワクチンという人口に膾炙した用語を用いているのではないか、との懸念が拭えない。

 しかも最近では、オミクロン株流行への対応として、3回目や4回目の接種すら推奨されている。それが有効であることを専門家が政府広報で訴えているが、その根拠として示しているのは海外での接種での結果に過ぎず、もともと海外とは異なる感染状況にあるという、我が国の特異性については何の言及・考慮もされていない。挙句に、2回目から3回目接種までの期間が、1回目から2回目までよりも短く設定された上、どんどん短縮されている。また、感染者や濃厚接触者の隔離期間も同様だ。何故このようなことが可能なのか。果たして安全なのか。疑問や不安は募るばかりだ。
(オミクロン株の重症化率が低いから、というのが期間短縮の理由であるならば、それと追加接種を推奨することとはどう整合するのか。そもそも、毎年、多くの感染者や志望者を出しているインフルエンザにそこまでの対応はしていないではないか。)

 複雑・難解な状況に接すると我々は、突然、専門家を頼り、彼らがそれらを解明し、原因や対応について分かりやすく伝え、指示してくれことを期待する。調子が良いと言えばそれまでだが、専門家とは我々が知らない科学的真理に基づいて判断・説明をしており、その真理を専門家は共有しているものと思っていた。だからこそ、その声に耳を傾け、それを信じた。
 ところが、それが幻想にすぎないことが、東日本大震災で一挙に露わになった。震災がもたらした原発事故の影響や対策について、専門家と称する人達が次々に述べる内容は多種多様で、矛盾するものも少なくなく、一体どれが正しいのか皆目見当がつかず、混乱が増すばかりだった。

 こうして専門家=科学者に対する不信感が一挙に増大した。そこでこのような事態を踏まえ、当時、改定期を迎えていた「科学技術振興基本計画」は当初案から全面的に書き換えられ、科学者の責任が強く訴えられることになった。科学に対する信頼を維持・確保するためにも、このような認識・姿勢は認識・継続されるべきものであり、そうなるべきであった。ところが、今、また同じことが繰り返されている。

 科学技術が、我が国の、人類の発達に寄与した成果・貢献を軽視するものではない。しかも、真面目な専門家・科学者が大半なのも事実だ。他方、これと言った実績もなく、ただ当該分野に属しているというだけで専門家を称し、根拠に乏しい発言を行うものも少なくない。多くの人の経済活動や生活に大きな影響を及ぼすことを踏まえ、その発言は単なる憶測や推測でなく、また可能性の有無を述べるものでもなく(しかも「可能性はある」に止まるものが大半)、確たる科学的根拠に基づき、実証可能なものであるべきであり、そうでないものに対しては結果責任が問われるべきではないか。

 これには我々の態度も変える必要があるのは言うまでもない。専門家という肩書を信じ、その発言を鵜呑みにするのではなく、それはどのような根拠に基づくものか、また、その根拠は科学的に立証され承認されたものか、を確認していくべきだろう。我々には、科学者を信頼するだけでなく、彼らを鍛え、育てていく役割もあるのだ。

 これは科学者に限らない。経済等でも同様だ。複雑化し、先が見えない社会の中で日々を過ごしている多くの一般人の不安に付け込むような真似が行われることがないこと、彼らが頼るべき「専門家」にふさわしい言動を行うことを担保する仕組みが構築されることを願う次第だ。

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