国際的に活躍できる<グローバル人材>を育成するために<英語教育を抜本的に充実・強化することが不可欠である>として、英語教育の改革が様々行われている。
その内容が、全ての児童生徒を対象とする学習指導要領に記載されているということは、今後の社会において英語が全ての国民に不可欠な知識・技能であると訴えているに等しい。
そこで、まずそのような主張の前提となる「グローバル化」について伺いたい。
第一に、今後、想定される<グローバル化した社会>では、
㋑ 日本人と日常的に接触・会話をし、業務を実施する外国人が(観光・ビジネス別に)どの
程度来日・滞在するのか。それは現在と比較してどの程度増えるのか。
㋺ 逆に、海外に渡航し、海外で業務を行う日本人は現在よりどの程度増えているのか。
第二に、それら多くの外国人のうち、英語を常用している者の割合・人数はどのくらい(人
数・比率)と想定しているのか。
第三に、そのようなグローバル化した社会はいつ到来するのか。
第四に、これらの想定は何を基準にして、どうやって算出したものか。
これらを明らかにして欲しい。
本問で「全ての児童生徒を対象としている学習指導要領に記載されている…」と述べているが、この点は学習指導要領の問1に関連する事項であるので、それも念頭に置きつつ問うものであり、その後の流れ次第では学習指導要領の質問に移り、それを整理した後で、本項に移ることもあり得よう。
さて、英語教育充実・推進を掲げる以上、その前提とされている「グローバル社会」の状況について具体的に明らかにする必要があるのは当然だが、教育政策において散見されるように、その実態・根拠も極めて曖昧である。これが明らかでなければ、とるべき政策・教育の妥当性について判断することすらできない。
また、これらは全ての基礎である以上、その回答内容次第では再確認・追及する事項がさらに増えることにもなる。例えば
・回答例㋑「来日外国人や渡航日本人数等について明確な数値がある訳でなく、全体的な傾向を述
べたもの」
←更問:明確な数値もないのに、学習指導要領に記載して全ての児童生徒に指導する根拠・内
容なのか。
・回答例㋺「来日する外国人や渡航日本人数等は国交省等の予想数値を参考にした」
←更問:およそ全て統計は、実施機関・団体の問題意識に基づいて実態を把握したものであ
り、国交省等の数値はその範囲での制約を持ち、彼らの使用言語・そのレベルまでは
対象としていない。観光で来日する外国人が増加するという数値だけでは日本人が英語
能力を向上させる必要があるとの根拠にはならないのではないか。
・回答例㋩「外国人のうち英語を使用する者の人数・比率は明確には承知していないが、英語が国
際共通語であることは常識である。」
←更問:英語が国際共通語であることは常識であるからこそ、これまでも英語教育充実に努め
てきたのではないか。それを抜本的に強化するとした根拠として「グローバル社会」の
到来を掲げているので、その内容を尋ねたのに、それが分からないというのであれば、
英語教育を改革する根拠はないということか。
・回答例㊁「外国人のうち英語を使用する者の割合等は〇〇と見込んでいる」
←更問1(割合が多い場合)その根拠はなにか(グローバルという以上、国際的な多様化が
進み、英語の割合は相対的に低下すると考えるのが普通ではないか)
←更問2(割合が少ない場合.)その程度で日本人が全員、英語を学ぶ必要があるのか。
(むしろ、急速に増加するアジアからの技能・介護人材に対応した言語習得こそ望まれ
るのではないか。)
…といった具合であり、際限がない。英語教育充実・推進がいかに曖昧な設定に基づいた政策であるかがこれらだけからも明白であるが、本件はこれから教育を受ける(受けている)全ての児童生徒(及び保護者等)に関する事柄であるので、これで済ませるわけにはいかない
色々と説明があったが、要は来るべき「グローバル社会」とはどのようなもので、そこでは全ての国民に英語がどの程度必要とされるのかは不明であった。これで英語教育を抜本的に改革・改善すると言われても、「なぜ」「どこまで」と言った理由や程度が分からない。
果たして、文科省はこれで現場の教師や教育委員会がそれらを理解していると思っているのか。単に上意下達を求めているだけではないのか。そうでないなら、その根拠を示してほしい。
この問に対しては、
「学習指導要領改訂に際しては、審議会で専門家の意見を参考にして必要な内容を策定してい
るところであり、これはおよそ教育に携わる者(教育委員会・学校を問わず)にとって、理解が
得られる内容であると認識している。加えて、改訂した学習指導要領の趣旨・内容については、
それが実施されるまでの間に様々な資料を作成し、研修会を数多く開催することでその理解に努
めている」
と言った答が行われるだろう。容易に分かるように、質問とは論点がずれており、答えにはなっていないのだが、質問に答えることよりも長々と答弁(発言)して、質問時間を費やすことが肝要とされており、質問者も答えの内容の適否を判断し、満足する答を引き出そうとするよりも、予め準備した質問を与えられた時間内でできるだけ問うことに関心が向きがちなので、このような答が許されることになる。
本質問集ではそれらを許さず、問題点はしっかりと追及することを主眼にしているため、上記答では満足せず、更問を尋ねることなる。
尋ねたのは、現場にどう理解させているかではない。
そもそも、あらゆる政策の有効性を確認する上で大事なことは納得できる客観的・合理的な根拠や具体的データが与えられているかであり、それらがなければ英語教育の充実が必要だとどれだけ訴えても、結局は一方的な「詰め込み」を求めているに過ぎないのと同じではないか。ところが、その根拠に全く言及がなかったのは遺憾だ。
つまり、英語教育を抜本的に強化する必要性の根拠として掲げられた、来るべき「グローバル社会」の姿やそこで必要とされる英語の水準等は一向に明らかになっていない訳だ。
現在の英語教育には長年、学習したにも関わらず満足に話せないでいるという問題があるが、それは現在までの英語教育の問題であり、それを改めるということと、今後の社会に必要とされる英語能力(というものがあるとして)を獲得することとは別の問題であろう。
それを混同した上、前者の検証・反省なしに、新たに改革を行うということ自体に無理があると言わざるを得ない。いうなれば、浴槽に水を貯めようとしながら、一向に貯まらないために、給水パイプの数を増やしたり、パイプの太さを太くしたりしているに等しいが、肝心なことは浴槽に穴が空いているのを把握し、それを塞ぐことだ。
新しい取り組み・政策を打ち出すのも結構だが、まずはしっかりとした現状把握・検証・改善を行うべきだと思う。それが現場での理解を進め、自主的な取り組みを促すことになると思うが、なぜ、それらをせずにいるのか。
おそらく、現状ではこの問には答えることはできないだろう。
「指摘を踏まえこれから(検証の実施を)検討していきたい」
と答えるのが精々ではないか。
しかも、ここで述べているのは検討に過ぎず、実施自体ではないことに留意が必要だ。
このような論点のズレた答には満足しないという姿勢を明確に示し、また、いい加減な答弁でその場を凌ごうという対応では許されず、さらに厳しい質問を招くという認識を答弁側に与えることが必要でそれが真摯な答弁(不作為に対する率直な謝罪を含む)や、質問の趣旨にそった誠実な対応へ導くことになる。
教育行政の改善に必要なのはこのような過程であり、これを様々な分野でも徹底していかねばならない。
さて、問A1で将来の社会像について尋ね、その曖昧さを明らかにしたが、英語教育の充実という観点からは別の問題が生じる。
児童生徒の教育を考える際、それが必要となる今後の社会像が明確であることは前提だ。その際、当該社会において関連技術等がどの程度進歩しているかは当然勘案すべきであろう。
現時点で携帯型の自動翻訳機が普及し、既に空港の土産物店等で活用されている様子が報道されている。今後、この方向は急速に進み、誰も気軽に自動翻訳機を持つことになるだろう。いや、スマホに当該機能が標準装備されているかもしれず、いわばこれからの「グローバル社会」は「自動翻訳社会」であるとも言えよう。
要は、このように技術革新が大きく進み、多くの外国人を相手にした日常英語力の大半は端末が簡単に行うような社会でも全ての国民に現状以上の英語力が必要だと想定する理由は何か。
言うまでもないことだが、現在及びこれから学校教育を受けている(受ける)児童生徒が生き、活躍するのはこれから数十年後の社会である。それが現在とは全く異なったものになっていることは、わずか十年前と現在を比べてみても容易に想像がつくだろう。
子ども達がスマホを持ち、ネットを通じて検索やゲームを行い、オンライン教育も実施される。民間企業の発射したロケットでの宇宙旅行が可能となり、youtuberが憧れの職業になっている…。このように技術が進展した中では人々の生活ぶりも今とは大きく異なるのは当然だ。教育の場面でも、もはや子供たちは重く厚い辞書を引くことなく、必要な情報をスマホから手軽に入手する。そのような社会では多くの人が使うレベルの英語は端末やソフトが代わりに行ってくれることになるのではないか。
この問に対してはどう答えるのだろうか?想像できるのは次のようなものだ。
「来る社会では科学技術が現在より大きく進展しているのは事実だが、あくまでも技術面での
話であり、実際にそれらの技術を用いて英語を使い、具体的なコミュニケーションを行うのは個
々の人間である。優れた翻訳機があるにしても、実際の場面で相手の発言を受けて、どのような
会話を行うかを判断し、それに適した入力を行うことが不可欠であることを踏まえれば、技術が
進歩した社会においても一定水準の英語力・4技能は必要であると考える」
技術がいかに進歩発展しようと、それを使うのは人間である以上、一見もっともな回答であると思えるが、実は、この答は英語教育の必要性を自ら投げかけていることに気づいていない。
「翻訳機があるとしても、それに適切な入力をする力が必要・不可欠だ」とのことだ。まさにその通りだと思う。そして「適切な」入力を行うためには、相手の話す内容を正しく「理解」し、それに対する自分の考えをうまく「整理」し、それを相手に効果的に「伝える」ことが重要であり、これらは英語力ではなく、論理的思考力・判断力・表現力の問題であって、むしろ国語の力であろう。
既に(大前研一氏はじめ)多くの識者が指摘しているように、「相手の言っていることが聞け、きれいな発音で話すことができるだけでは会話は成り立たない。むしろ、時間がかかっても相手の言っていることをしっかりと<理解>し、訛りがありたどたどしい発音でも内容・主張がしっかりとした発言こそが重要で評価される」のだ。
その意味からすると、英語教育の充実と言っている内容は、形式的・技術的側面に偏っており、本来の目的である「グローバル人材」の育成には寄与しないのと考えられる。
要するに、方向性が根本的に間違っているのではないか。
この問に対しては
「ご指摘のような懸念が現実とならぬように、英語力の育成にはまさに論理的思考力や表現力
等の充実が必要であるという観点から、他教科、特に国語との連携を重視しているところであ
る。」
と答えるのだろう。
ついては、それが言葉だけでないことを確認していくことが必要となろうが、この点だけでも多くの問題を含んでおり、確認に時間を要することから別途質すこととして、関連する次の話題に移ろう。

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