<B:現在について=既存施策廃止・中断の理由、新規施策の根拠>
既存施策には導入時に必要性が声高に叫ばれ、その下で多くの関係者の時間と労力・経費が費やされてきたにも関わらず、どのような成果等が上がったのか検証・整理されることはほとんどない。これでは「やりっ放し」と言える。
一方で、政策立案者は成果が上がっていると(根拠はないものの)信じているのであれば格別、むしろ、成果がないことを逆手に取り、問題・限界があると安易に結論づけた挙句、これを新規施策が必要とされる理屈とすることが多い。これでは、関係者のこれまでの努力を無視・否定しているに等しい。
ここではこのような実態を質していく。
現在の(新たな)△△という問題を解消するために新たな◇◇施策が必要であるという。
◇◇施策に関連する施策として、これまで(××年間に渡り)○○施策が行われてきたのに、それに代えて◇◇施策を実施するというのはなぜか。
△△という問題には〇〇施策では対応できないというのだろうが、〇〇施策を改善するのではなく、◇◇施策がこの課題解決に向けて有効だという根拠は何か。
上述した通り、既に【問A1】でのやり取りを通じて、これまでの施策の成果が不明であることが明らかとなっているので、繰り返しの、屋上屋を重ねるような質問になることは避け、現行施策と新施策の関係という観点から質問を始める。
現行施策は新施策に関連する施策であるということは、そこには問題とされる事項に関する対応も含まれていたはずである。ところが、当該問題には新たな施策で対応することが有効だとするのは何を根拠にしているのかを確認するのだ。
これに対しては
「△△の問題が生じた背景には・・・がある(と指摘される)ことから、◇◇では**に配慮
し、その解消を目指すことにしている」
「△△は、社会や環境の変化に伴い、急速に問題化したものであり、従来の施策では十分に対
応できない。そこで、(〇〇施策の基本は維持しつつ)△△問題の背景に・・・があることを
踏まえ、**に配慮した◇◇施策を講じることでその解消を目指すことにしている」
「△△への対応において**が有効であることは審議会等での専門家の指摘に基づいて判断
した」
等の答弁が行われるだろう。
そこで、
新施策は専門家の指摘を踏まえ、**に配慮したというが、これまでの〇〇施策はこれへの配慮はなかったのか。
を問うことになる。
これへの回答に応じて次の質問は変わる。
即ち、
①「○〇施策では**への配慮は十分にしていなかった」
とする場合と
②「〇〇施策でも**への配慮は行っていたが、それを◇◇では充実した」
とである。
△△という問題に**が有効であるので、◇◇で新たに配慮したというが、**が有効ということはどういう根拠に基づく結論か。
また、△△に対しては**しか有効策はないのか、それとも他よりは効果的ということか。
これまでの〇〇施策でも**への配慮はあったということだが、それでも△△問題が大きくなっているのに、**を行うというが、新たな◇◇施策では何を、どう変えるのか。それが有効だということは検証した上での判断なのか。
【問B3-②】の答えによっては、再び【問B1】に戻ることになる可能性もある。
根拠が乏しい中、口先の説明でかわそうとする(せざるを得ない)ために生じることだが、そこに関わってばかりもいられないので、ある程度追及をして進展がないと判断した場合は(当該やり取りを証拠として記録に残した以上)次の質問に移る。
さて、新施策の実施・導入は既存施策の廃止・中断を意味することが多いが、今まで多大な時間とカネと労力をかけて実施してきたことを検証もせずに、突然、効果がない・不十分だ、問題がある、と結論づけた挙句、それに代わるものとして新たな施策が提示される。
これは、これまでその実施に携わってきた人々(そこには保護者等も含まれる)の努力を無に帰することに等しい。このような実態があることを踏まえて質問を行う。
既存の施策の成果や問題点を明らかにせず、一方的にこれを止め、新施策に移行するということは、既存施策に携わってきた関係者の努力や貢献を無視し、また、これまで投入してきた時間やカネといった資源も無駄にするに等しいが、これについてどう考えているのか。
こう問われれば、
「関係者の努力によって、大きな成果が上がったものと認識して(おり、深く感謝して)い
る。」
「これまで投入した資源が無駄ということはなく、有効であったと考える。」
と答えるだろう。そこで、
既存施策は「関係者の努力により成果が上がって(おり、感謝して)いる」「有効であった」というが、どの程度の成果があり、それはどのような根拠やデータに基づいて明らかになったものか。(根拠が示せない場合)
これまでの答弁も、既存施策の成果を示す具体的データ等に基づかないものばかりで、再三苦言を呈してきたのに、相変わらず同様の答弁をするのは誠実な対応とは言えず遺憾である。
成果の具体的状況が分からないのになぜ「成果が上がっている」「有効だ」と言えるのか。
もしかすると【問B4】への答えは、これまでのやり取りを踏まえ、成果について言及せずに単に
①「既存施策の推進に尽力された彼らの努力・理解・協力に感謝している」
という答えだけをする可能性はある。
または、半ば開き直って、
②「教育とはそもそも成果を数値等で明らかにすることが難しい。」
ということを口にすることもあるかもしれない。これらの回答に対しては
関係者の努力等に感謝しているということだと言うが、自分達が提示・要望した施策の推進に努めてきたことに対して感謝するのは当然である。
それと同等・それ以上に重要なのは、彼ら/彼女らの貢献に対して感謝だけではなく、当該施策を終了・中断するに際し、これまでの努力・協力を纏め、それを次に活かすということではないか。
これらを過去行っていないのは怠慢で、それが教員の無力感醸成や職場環境悪化につながっているのではないか。
およそ、現場の関係者はこれまで、何度も提示された新たな施策を実施するのに必要な経費や人員等が措置されることはほとんどないまま、これらを実施するよう強いられてきた挙句、その努力の大半が無視されてきたのであって、こうした状況が「ブラック」とみなされる環境を生んだのだ。
こうしたことを続けないためには、相当の資源(時間・ヒト・カネ)を投入し、現場に負担を付加しないことが求められるが、財政状況不如意の状況下では難しいことも事実である。
従って、現場での取り組みの実態・成果を把握し、それらを分析し、次に活かす取り組みを行うことが彼らの労に報いることになる。これにより彼らも「努力して良かった」「辛い中、頑張った甲斐があった」と思うのではないか。是非、そういう方向に進めて欲しい。
さて、②は弁解としてよく聞かれるが、これに対しては
なるほど、人間を相手にする取組である教育の成果を数値で表すのには難しい点もあるかもしれないが、他方、この施策に多くの公費が投入されてきたが、それが妥当であったか否かは、何を根拠にして客観的に判定するというのか。
このような問に対して、これまでは「関係者からの声」「審議会等での専門家の評価」等を理由に挙げることが多かった。しかし、いずれも定量化したものではなく、印象に過ぎない。
そこでこのように問うことで、もはや抽象論で済ませることはできず、明確な根拠・データに基づいて施策の効果を判定し、それを公表することが必要であると認識することになろう。
それに気づいてもらうことが一連の質問の趣旨ではあったが、そもそも、教育委員会制度の下、各自治体での判断に基づく解釈・運用が認められているにも関わらず、それが行われてこなかったことが問題であって、それを改める契機としたい。
ところで、【問B6-①】で教員の職場環境の悪化に言及しているが、それを裏付ける現場の負担増の実態を明らかにする問を行うことは重要だ。
本施策の実施に対する関係者の努力に感謝している(既存の施策は関係者の努力によるもの)というが、彼らを努力・協力を支援するための措置は十分に講じられたのか。
教員に無理を強いている実態が現場を「ブラック」と呼ぶことにつながっているのではないか。ヒト・モノ・カネと言った支援のための資源が十分提供されたと言えるのか。
言うまでもなく、これに対しては
「支援策が十分であったとは必ずしも言えないが、財政不如意の中、対応できる範囲には限界
があることは避けられない。そのような制約の中で精一杯の措置を講じた」
といった弁解・答弁が行われるだろう。
これ自体、事実であり、非難されるべきものではないが、反面「仕方がなかった」という理由で、自分達の対応を正当化し、結局は現場に不足分の対応を強いて終わるに等しく、しかもこれが何の反省もなく継続されている。このような厚顔な対応をもう許すべきではない。このために、次の問を行う。
「財政上の制約等もあり、必ずしも十分な支援・対応が行えたとは言えないが、これは仕方がないことで、できるだけのことは行った」というが、結局はその足りない分を現場に押し付けているだけではないか。
そもそも、支援・対策が不十分な中で施策を進めたことに誤りがあったのであり、せめて、支援の及ぶ範囲での実施に留めるべきではなかったのではないか。
支援が不足したまま実施されてきたことは今さら変更も、取り返しもつかないのは言うまでもない。
従って、ここでの趣旨は、不十分な支援・対策のまま、施策の実施を進めた結果、現場に多くの負担をかけたことを反省、今後はこのようなことが無いように努めさせることである。
なお、関連して、現場の負担軽減という意識があれば、別の方策も考えられたはずであり、それを検討したかを確認する。
従来の施策では新たな課題への対応に限界があるとのことだが、これまで相当の期間実施してきて、関係者も慣れている現行の〇〇施策に改善を加えることで問題の解決に寄与することができれば、その方が負担も少なく、効果的だと考えるが、そのような方策は検討していないのか。
これへの回答で、課題解決のための方策としては「新規施策ありき」というのが規定路線であり、その前に現行施策との比較考量なども行われていないことが明らかになる。これまでの対応に対する謝罪の言葉でも述べさせることができれば十分である。
「必要だ」「重要だ」と叫んで、実施を求めている新規施策とはこの程度のものなのだが、こうした実態をなかなか認めたがらず、色々と反論・弁解をすることは容易に想像される。
これまでの項目は「現行施策の成果や課題が満足に検証されることもなく、突然、廃止され、代わりに新たな施策が実施されている」という実態を明らかにしていくことに主眼があった。
大きな社会問題となった共通テストも、センター試験を廃止して導入されることとされていたが、これまで長年に渡り実施され、公平性や問題の内容等に対して高い評価を得てきたセンター試験をなぜ、廃止する必要があったのか、それはどのような客観的な根拠に基づく判断であったのかが一切不明なまま、結論だけが先行したこと(この点の質問は、高等教育編で具体的に展開)が明らかになったのはまだ記憶に新しいところだ。)
そこでこのような姿勢を質す必要があったのだが、類似のやり取りが繰り返されるなかでは視点を変えた質問も必要だろう。
(代替案についての検討もせずに)新規の◇◇施策が有効だと結論づけているが、別の視点からその妥当性を確認したい。教育施策の中には(高等教育無償化・少人数学級・教員研修等)その成果や有効性(費用対効果)に疑問を投げる実証的研究結果が出ているものが多い。
このような指摘を受けた施策がこれまで漫然と続けられていることに問題があると思うが、果たして◇◇施策は従来の施策は異なり、確実に成果を挙げることができるものだという根拠やそれを示すデータはあるのか。
これまで通り、「具体的なデータ等はない」という答えになるは明らかである反面、それを認めたくないための詭弁が弄されることになるだろうが、
「当該新規施策の成果を示すエビデンスはまだないが、今後、当該施策を実施する過程で検証
を進め、成果は明らかになる」
という反論も予想される。その場合には次の質問を行う。
施策を実施してから検証を行うのではなく、先に検証を行い、効果が得られることが判明した上で施策を実施するのが正しい順序ではないのか。しかも、(効果についての先行事例もない中で、もともと成果が期待できないとの研究成果が明らかとなっている施策が多く実施されている中、)施策実施後の検証によって、それらと同様に期待する成果が得られないという結果が生じることがないと言い切れるのか?もし、そのような結果が明らかになった場合はどう対応するのか。
この問・指摘には「そのようなことが生じないように、施策をしっかりと実施して参りたい」と言った(焦点のズレた)回答・説明が行われることになることが予想されるので、それには
「意欲を聞いているのではなく、客観的な根拠を質問・確認している。関係者は頑張ったけど
成果が得られなかったということにはならない、と言えるのか(それは何故か)を答えてほし
い」
と述べることが肝要であり、それ以前に
「実施前から期待した成果が得られることが期待されるように配慮・調整された調査を行うこ
とがないように要望しておく」
としておく必要がある。
さて、これまでの問は再三述べてきたように、教育政策立案の過程や実施の根拠を明らかにするためであったが、最後に、成果を検証しないことの懸念を明確に指摘しておく。
当該施策には今後、相当の時間や経費・人員といった資源が投入されることになる(ここではその量は敢えて問題にしない)が、その成果について具体的な根拠・データが事前になく、それらの資源の投入が無駄だったということが施策実施後で判明すると言うこともありうることが判明したが、そのような場合はどう責任をとり、どういう責任をとるのか。事前に明らかにして欲しい。
ここでは敢えて、施策の実施に投入される資源の量を確認していないため、それらを具体的に問うことも考えられるが、実はこの点は次の<将来>の項で尋ねることとしている。
これまで、効果に乏しいことが事前に明らかであったものを含め、多くの施策が成果も得られないまま終わっている。このようなことが続けてこられたのは、検証が行われていないため、不備が明らかにならず、結果、その責任を誰も取る必要がなかったからだ。多くの児童生徒が直接その影響を受け、その実施に向けて多額の経費や人員が投入されてきたにも関わらず、である。
今後はこのようなことがないように、一連の質問で根拠・データの明確化と検証の実施が不可欠であることを訴えてきたが、最後に、このような対応をせずに従来と同様の施策が実施され、それが成果も不明であるようなことが生じた場合にはしっかりとした責任をとるべきことを確認しよう。
これで、国はもとより、自治体においても「指示・要望されたから」と言う消極的・受け身での対応では済まないことが認識され、積極的な対応が取られるだろうし、それを行うための方策を真剣に考えるようになるだろう。それこそがここでの目的である。

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