語学の習得には常に当該言語に触れ、反復することが必要であるとは良く指摘されるところであり、そのため、必然的にそのような環境に常に置かれることになる留学の重要性は訴えられてきた。このことから、同様の環境が国内でも得られることが重要かつ効果的だと思うが、足元の学校内ですら校内掲示・放送も日本語のみという有様であって、英語に触れるのは(わずかな)授業内だけにとどまっている。このような現状を改善することなく、従前よりも効率的・効果的に英語能力を習得することは可能なのか。
英語教育の充実・改善を求める声は大きく、多いが、それが成果を上げるには、当然、一定の環境・条件が整っていることが必要だ。それなしに実施を求めるだけでは画餅に過ぎず、教員を始めとする関係者の負担を増すだけだろう。
ところが、現実にはこのような環境構築に向けた対応はほとんど見られない中で、英語教育の充実・改善ばかりが求められている。
問Cではこのような偏った状況を明らかにする質問をしたい。
この問に対しては
「指摘の通り、英語を修得する上で、それに触れる機会が多いことは重要である。そのため、
従来のような座学での文法や読解中心の学習を改め、実際に英語に慣れ、それを使用すべくコ
ミュニケーションを重視することとしている。」
と答えることで矛先をかわそうとするだろう。
問C1で尋ねているのは、学校内での対応だけでは不十分であり、幅広い期間・団体の理解・協力が不可欠ではないか、と言うものだったので、それを踏まえて改めて問う。
尋ねた(指摘した)のは外国語(英語)に触れる機会を増やす上で、学校内での取り組みだけでは足りず、様々な場面で英語に触れ、使う機会を増やしていく必要があるのではないかということであり、そのためには、多くの機関・団体の理解・協力を得て環境作りに努める必要があるということだ。
他方、既に電車内では車掌が英語で車内放送をし、電光掲示板からの行き先情報やニュースは英語が併記されている。また、ホテル・デパートでも場内放送が英語で流されているし、町の中の標識や案内図も同様だ。いずれも来日外国人の増加に応じた対応だが、これらの動きと連携していくことは極めて有意義だと思うが、そのような対応は行っているのか。
もしそれを行っていないのなら、児童生徒が活きた英語に触れる機会は学校内だけで十分だと思っているということか。
文科省及び教育委員会は、教育に関する事項は自分達の専権事項であり、他の機関・団体が関与することを嫌う傾向があるが、それでは十分な対応ができないことは明らかだ。
そこで、この問で英語に触れる機会の確保に向けた意識を確認することになるが、予想される回答としては
「指摘の通り、多くの機関・団体で英語を使った取り組みが行われており、それらと連携を進
めることは重要と考えるが、まずは児童生徒の主たる活動の場である学校での機会の確保に努め
ていきたい。」
というものだろう。
結局、何もしないと言っているに等しく、既に問C1で「学校内だけの取り組みだけでは不十分」と指摘していることにも全く耳を傾けていないことになるが、これが「学校中心主義」発想から抜け出ない実情だ。
他方、このような文科省・教育委員会の意識・対応とは別に、民間においては問C2で言及したことのほかに様々な取り組みが行われている。その中の一つである外部人材の活用は現場の負担の軽減にもなるのだが、なぜこれが行われないのかを確認したい。
授業時数減の方針を撤回して以降、カリキュラムは一杯の状況にあり、この中で新たな英語の授業時間を確保するために短時間学習を積み重ねるとの方針が示されているが、このような弥縫策で英語力の向上は得られるのか。
外部機関・団体との連携を進めることなく、学校内での対応のみに執着する一方で、肝心のカリキュラムに余裕がないことから対応時間の確保に汲々としているが、これ自体弥縫策に過ぎず、効果があるものかは不明だ。
おそらく
「早朝読書や計算の時間等、短い時間でもこれを継続的に実施することで効果を挙げている取
り組みはあることから、英語学習についても同様の効果が得られると期待している」
と言った回答になるだろう。
これに対しては、
「朝読書や計算は、既に授業で学習した内容を復習するものであり、授業の一環として新たな
内容を学ぶものとは性格を大きく異にするので、同列には考えるべきではない。
果たして、このような形が効果的だという検証結果はあるのか」
と質せば良いが、そこまでせずとも「弥縫策」という語を使っている時点でこちらの質問意図を感じて欲しい。
さて、授業時間の確保に加え、人的態勢の充実も大事な課題である。これら環境・条件面への対応が不十分なまま、ひたすら英語力・教育の充実を求めている現状に警鐘を鳴らすのが問Cの趣旨であり、その流れで次を問う。
英語教育を効果的に進めるためには、教育時間のみならず担当する教員の能力の維持・向上も重要な要素だ。そこでこの点について尋ねたい。
英語教育の充実を叫び、小学校から英語教育をはじめ、4技能の修得も必要だとするが、それを教える英語教員の免許取得や各自治体での採用試験の際に4技能判定を課しているところはどれくらいあるのか。
また、既に採用されている英語教員については学習指導要領の改訂に伴い、当該能力についての研修が必要になるが、それをどの程度の教員が実施しているのか。
これらが十分に行われておらず、能力の保証がない教師が、児童生徒の能力向上に努めることになっているのは大きな矛盾ではないか。
情報化を始め、様々に導入される新たな教育について、それを教える教員の質・量の確保に問題があることはかねてから指摘されており、それを裏付ける調査データも公表されている。
状況は英語でも同様であり、教育の充実を叫ぶ一方で、それを担う教員の資質・能力の向上が十分には行われていない。
教師の側には「忙しくてその暇がない」という反論もあるのだろうが、それ自体、本末転倒した主張であり、このような発言が行われること自体、教育の不毛ぶりを表している。
英語教育を効果的に進めるうえで担当教員の能力確保・維持に問題を抱える中では、それを補う人材確保が必要であることは明らかである。この点、民間でJ-SHINE等が相当の能力を有する人材の認定を行う重要な取り組みが行われている。
これらの(資格を有する)人材の活用を進めることで、全教科に加え英語まで担当する小学校を始めとする、英語担当教員の負担を軽減することになると思うが、これを省として組織的・全国的に進める考えはないのか。
教員の勤務環境改善が大きな問題として認識されているにもかかわらず、その改善に向けた具体的な取り組みは行われないままだ。これで英語教育の改善・充実を図ろうと言うのだからその実現は画餅に過ぎないと言わざるを得ない。
本問はこのような行政側の姿勢を明らかにするためのものだが、この前に関連質問として
「(小学校)教員の負担を軽減するために、何をどう実現しようと考えているのか。」
を尋ね、具体的な回答がないことを踏まえて、問C4に進むという流れでも良いかもしれない。

コメント