(Web面接での質問)
コロナウィルス感染拡大防止のため外出自粛が要請されている中で、企業は自社に就職を希望する大学生の選考を、本人に直接会わずwebを通じて実施している。
これまでにない取り組みであり、企業も試行錯誤の中で志願者の人となりをできるだけ適格に把握しようと、工夫を凝らしているのだろうが、その中で、ある企業は「学生を今より3倍勉強させるにはどうしたら良いか?」という質問を出したという。
1~2分考えさせた後に自分の考えを述べさせるというのだが、これを知った時、とても複雑な印象を受けた。
(質問の意図は何か)
そもそもこの質問を出した意図は何なのだろう。
日本の大学の教育機能が低下しており、学生にとってレジャーランド化しているとの批判がされて久しい。国際的にも問題視されているこの実態を改善すべく、文科省は3つのポリシー(アドミッション・カリキュラム・ディプロマ)の明確化と公表を求めたり、卒業時に求められる学士力を設定したりするなどの対応を行ってきたが、一向に改善されずにいる。
その背景に企業が学生に学業成績を求めず、それを採用判定の材料としていないことが大きいとの指摘もされ続けてきた。要は、学生の勉強不足の要因の一端を担っている企業自体が、実態を省みることなく、改善のための方策を何も取らずにいながら、一方的に対応策を他に求める(経済団体からの教育改善要望は枚挙に暇がない程だ)という姿勢が分からない。
しかも今回は対象が学生、とりわけ課程をほぼ修了し、卒業を待つ身である就活生である。言わば、小学校から続いてきた勉強と関係の深い生活を終えようとしている者であり、彼/彼女たちにとって学校での勉強はもはや終わった(終わりつつ)ある事柄と言っても過言ではなかろう。そんな者がどこまで真剣に(それもわずか1~2分で)考え、自分の意見として答えることができるのだろうか。
(曖昧な質問内容)
だからこそ、そのような条件の中でしっかりした答えをだすことができる学生が明確になり、それを選びだすことが可能となるというのだろうが、そうであればなおのこと、問題は大きい。
まず、質問の内容が極めて曖昧だ。3倍というのは、学生数をいうのか、勉強量を言うのか。もし、後者であれば、基準となる現在の勉強量とは何を、どの程度行っていることを想定しているのか。そして、そもそもなぜ3倍なのか。それらの理由・背景(なぜ2倍ではなく3倍なのか、3倍とすることでどんな効果が初めて期待できることになるのか)が分からなければ適切な方策が選択できない。
さらに、いつまでにこれを達成するのか、実施のための資源にどういう制約があるのか、も不明だ。こうしたことが全く明かされず、それを出題者に確認する暇も与えられないまま、1~2分で答えを出すことが求められた上、その内容で選抜が行われるのである。質問趣旨・目的のみならず、判断基準も不明な選抜で人生を左右する決断が下される。これでは、しっかりとした考えをもつ学生を選抜する、との姿勢と矛盾するのではないか。また、学生も面接後に何を、どう答えれば良かったのか自己判定もできず悶々とした気持ちを拭えない。
こう考えると、表向きの理由が何であれ、多くの学生が答に窮する質問であれば何でも良かった、というのが本音だと分かる。
(面接の建前と本音)
関連する事項として、以前、日経紙に吉田文・早大教授が「産業界トップは大学にグローバル人材やイノベーション人材の育成を求める」が「採用担当者は空気を読むなど同質性を重視する」とする分析結果が掲載された(2019年7月15日16面)。就活における学生選考でいかに建前と本音が使い分けられているかを如実に物語る。同じ記事では「日本企業の担当者は、異質な要素を取り入れることに積極的ではない。それは過去の経験に由来すると同時に、いまだそこに安住できているからであろう。」との指摘もある。要は学生に変化を求める企業自体が変化できずに過去を引きずっているのだ。見事な二重基準だ。
冒頭で、多くの企業は我が国の大学教育には問題が多く、これらかの社会を担う人材の育成ができていないとして経済団体を通じて様々な提言を行ってきていながら、学業成績を選考時の判断材料としていないと述べたが、この点も「面接時間の約半分を学習の質問に割く外資系企業と、サークル活動、アルバイト、趣味などの学生生活を総合的に把握する日本企業という明瞭な差異がある。」と明確に指摘されている。
そもそも、専門的訓練を受けた面接官が20分かけて面接した評価結果と、同じ面接の冒頭15秒録画したビデオをもとに外部の参加者が評価した結果がほとんど一致した、という米国オハイオ州トリード大学のフランク・バーニエリ氏の研究結果もあることを考慮すると、このような面接で毎年、何万人もの就活生が評価されていることには同情を禁じ得ない。
もっとも、先の吉田教授の分析結果と同じ紙面には「企業トップがイノベーション人材やとがった人材がほしいと訴えても学生ははなから信用していないのではないか。」とする記者のコメントも掲載されており、学生は当初からそのような実態は承知しており、その上で面接に臨んでいるとも考えられる。
なお、学生を送りだす側の大学でも、最近、ペーパー試験に代わりAO入試として、面接等により入学者選抜を行う事例が増えている。ここでも、人材選択における面接の有効性が前提となっているのだが、果たして望む学生は獲得できているのだろうか、獲得した学生に見合う教育研究体制は整っているのだろうか。今の学生は大学の入り口と出口の両方で、面接という不思議な通過儀礼を経ることを余儀なくさせられていることになる。
人材選抜の難しさと、現状の不十分さを痛感するほど、学生が気の毒だと思わずにいられない。

コメント