省内で一定の年数を経験し、ポストも課長補佐に進むころ、多くの者が地方自治体に出向し、そこの教育委員会の課長に就任することになる。地方自治の本旨に則れば、地方行政はその自治体職員によって運営されるべきものであることから、このような出向は表向き、自治体からの要請に応えて行われていることになっている。
さて、派遣された課に在籍しているのは自分よりも年長で経験豊富な者ばかりで、そのような職員を相手に課長として振る舞うことになるのだが、それに対して二つのタイプに分かれる。
一つは、文科省が意図しているように、地方における教育行政の実態を経験し、それを国の行政に活かすために研鑽に努めるタイプで、これが大半だ(と思う)が、中には、若くして組織の長を経験し、年長者を部下として扱う経験を積んだことで、間違った「エリート意識」を身に着ける者が生じることがある。自分が後者でなかったことを願うばかりだが、30年以上を経過した今日でも当時の同僚との交流が続いていることはその証拠として素直に喜びたい。
この地方勤務では、霞が関にいては到底得ることができなった経験を数多くすることができた。
その中でも新設高校の甲子園出場に伴う事項は強烈な印象を受けたものの一つだった。
その高校は県の教育改革の先導を担うという目的の下、国が新たに制度化した総合学科の県内第1号校として開設された。教育委員会がこの高校に寄せる期待は高く、それは様々な面に現れた。まずは人事だ。
どの県でも公立高校には序列があり、教員がその中で少しでも上位の学校に異動すれば栄転、逆ならば降格だと見なされるのが常であり、それは生徒にすら認識されていた。どの学校でも、新年度の朝礼で新たに着任した先生が紹介される際、名前に続いて前任校が述べられると、都度「おー」という声が上がり、そのトーンが驚きや納得・失望に応じて変わることからこれは明らかだ。
この常識からすれば、同高の校長に着任したのは、直前まで県の教育委員会の高校教育課長を務めていた人物であり、通常なら新設校ではなく、もっと「歴史のある・序列の高い」高校の校長に就くはずだった。教育委員会に残り、次の部長に就任する可能性も噂されていた。従って、この異動には誰もが驚いたし、本人も当初は逡巡したという。ところが、県として同校に対する期待の高さと、これを託せる校長は彼しかいない、と説得された結果、最終的に引き受けることになったらしい。他の職員も優秀な人材が集められたのだろうが、その中の一人に野球部監督がいた。
彼は県内の甲子園常連校の監督を長年務めた有名人であった。そのような人物がなぜ、新設校に来たのかと不審な感じもした。実際、複雑な事情もあったようだが、さすが名監督だ。
なんと、就任から間もなく、この高校は監督の前任校を始めとする並みいる強豪校を退けて、初の甲子園出場を勝ち得たのだ。そして本番の甲子園でもベスト8にまで進出した。しかも、後から聞いたところでは、そのきびきびしたプレースタイルや礼儀正しさから、県内予選の最中にも関わらず、公正・公平を旨とする審判団からも、今年はぜひこの高校に代表として甲子園に行ってもらいたいとの評価の声が上がっていたほどだという。
実際、初の甲子園出場を祝う壮行会が開催された中で、最後に野球部の主将が挨拶にたったが、これがとても素晴らしいものだった。席上の誰もが感動し、「これが高校生の挨拶?」との思いを持った者が少なくなかった。このように様々なことに驚くばかりだった。
と同時に、この事実を通じて、指導者のもつ力の凄さと共にそれを吸収し、我が物にする高校生の潜在力の大きさを痛感することになった。そして、高校生くらいまでは誰もが大きな可能性を秘めているのだと思い、同時にだからこそそれを引き出すのが教師・指導者の役目である、という意識が強烈な信念として根付くことになった。

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