国が主催する全国規模の行事・祭典は数多い。その中には会場が毎回、固定されているものもあるが、開催地が各地を移るものも多い。いずれにおいても、開会式では、政府・各省を代表した者からの挨拶が行われる。
それが大臣等によって行われるとなれば、原案が作成されてから最終的な決裁・承認を得るまでに多くの部局の関与・修正・了解を経ることになる。その過程が長いほど、内容はもとより表現も大臣等が述べるに相応しい格・水準となっているについてチェックが入る回数・段階は増えていく。最終的に、どこからも文句が入る余地が残らないような、角の取れた、当たり障りのないものにならざるを得なくなる。結果、毎年開催される大会の場合、違いは挨拶を述べる者の他には開催地名と開催時期・副テーマ(主テーマは不変)くらいということも少なくない。
このような状況をあくまでも儀式であると割り切れれば良いのだが、自分の場合、折角の挨拶なのだから、先例とは違った記憶に残るものを作りたいという思いを常にもっていた。しかし、まだ経験も浅いため、他と同様の原案作成を余儀無くさせられたり、原案の質が低いため、肝心の箇所に修正が施されたりということが何度もあり、残念な思いを重ねていた。
その後、経験等を積むにつれて、ささやかながらも従来とは違う(と一人合点の)特色を盛り込んだ案文を作成し、了解を得るようにもなった。その延長として、遂にかねてから抱いていたある試みをする機会を得た。
それは文化庁在職時のことだ。
文化庁も多くの行事を抱える。その中の一つに「全国高等学校総合文化祭(略称・高文祭)」がある。全国の文化部から選抜された活動・団体・作品が一堂に会する祭典で、開催地は全国を巡回し、当番となった都道府県内では全地域が会場となり、各地で様々な発表・公演・展示等が行われるという壮大なものだ。
その時の開催地は青森だった。関東出身者の偏見かもしれないが、東北地方と言えば独特の方言がすぐに浮かぶ上、常に開催地の特徴を盛り込みたいと願ってきた者にとって、これほど適当なものはない!
それまでにも他部局で、開催地の歴史や名所・伝承等を盛り込んだりはして来たが、方言は試みたことがなかった。一歩間違えると滑稽さを誘い、挨拶の格を損ねるのではないか、と危惧してもいたからだ。
ところが、今回は「地域文化の保護・振興」を担う文化庁の行事での挨拶である。しかも、地域文化を将来に伝承していく当事者である高校生達による祭典だ。従って、方言を用いるのにこれほど相応しい場はない、と確信して原案を作成することにした。
過去には、その土地の方言を引用し、その語義やそこに含まれる思想等を解説するような形で盛り込んだ挨拶文はあったが、目指すのはそれではない。挨拶の言葉自体に地元の方言を用いるのだ。
この、初の(だと思う)試みに意気盛んに取り組んだが、これが予想以上に難しかった。
そもそも、既に巷間になじんでおり、一度聞いてすぐに意味が分かるような言葉では用いる価値がない。音感も大事だ。その上で、挨拶全体の趣旨に沿った意味を持つものを選ばなければならない。結局、方言一覧で一語一語確認した挙句、「あ(ん)ずましい」と言う語(「落ち着く」「気持ちが良い」といった意味)を選び、これを盛り込んだ。
たかが一語に大げさな、と思うかもしれないし、自己満足に過ぎないと言えようが、その一語が挨拶をこれまでにないものにしたのは確かであり、長官がその語を口にされた際、会場に出席していた地元生がざわついたのは何よりの証拠だろう。
改めて振り返ると、ささやかとはいえ、これまでにない言葉・表現を用いた原案がよく承認されたと思う。関係者の理解があってこそ、と今更ながら感謝したいが、同時に、こうした思いは会場の反応に明らかなように、集まった人達にもちゃんと伝わった(はず)である。そのような事態を念頭においた対応は地元のためにも積極的にすべきだし(同様の思いを持っていた人は実は多いことは、現案が了承されたことからも明らかな反面、その後、広がらずにいるのは残念だ)、自分がそれをしたのは良かった、との思いは今でも変わらない。

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