(量子論誕生から125年)
プランクが19世紀末年である1900年に「量子」という考えを提唱し、それを基に「量子論」が誕生してから125年がたつ。それまで、科学的現象は全て連続的であると考えられてきたのに対し、この理論ではごく微小な世界では取りうる値は不連続であるとされる画期的なものだった。
また、それまでモノは波「か」粒子のどちらかの性質をもつと考えられてきたのに、これではモノ(存在)には波「と」粒子双方の性質が併存し、しかもその出現は確率的で、測定されて初めてそれが1点に収縮し位置が特定できるという。この、とても奇妙な現象は日常的な感覚からはなかなか理解し難い。事実、この理論を巡ってはアインシュタインとボーアとの論争を始めとする様々な大論争を起こしてきたし、今でも理解できたとは言い難い難解な理論のままである。
(量子論の科学的影響)
ところが、それが実験結果と実によく合うこと、数学的にもその非局所性が証明されたことから、現在では物理学における基本的・主要理論の一つとされている。また、その理論を応用した技術により、半導体やDVD・スマホなど現在の生活を支えるものが数多く生み出されている。今後もリニア新幹線に使われる「超伝導モーター」や「量子コンピュータ」など、同理論基づく先端技術は次々と生まれ、暮らしの中に入ってくるだろう。
(量子論の文化的影響も…)
そのこと自体、喜ばしいことではあるが、見方を変えると、これは科学の進歩発展を支えてきた、西洋的二元論が終局を迎えており、これに代わる思想が求められているとも考えられるのではないか。
というのも、これまで西洋を中心にして、自然と人間、心と体、西洋とその他…と言った具合に全てを「主客」でとらえた挙句、客体は人間(西洋の)の操作が及ぼすことが可能な対象だ、という思想が自然科学の領域を広げ、急速な発達をもたらした。他方で、それが自然・環境破壊や民族差別等の問題を生んできたという反省に立ち、様々な分野で見直しが進められているのが現状だ。
心理も同様だ。誰しも内面では常に喜怒哀楽の感情が混然としているのが普通な上、その要因も複雑であって、ある時点での正しい感情は、関係するすべての要因の割合を確率的に求め、それらを総合するしかないと思うのだが、フロイトから始まった心理学ではヒトの内面を自然科学的に分析し、悩みや問題行動の要因を「特定」し、それを一つの言葉で表すことで治療に役立てようとしている。これには、内面の曖昧な、漠然とした感情の主要因を解消するのに役立つという効率的な面もあるのだろうが、逆に、ある言葉・定義が独り歩きし、もともとあった他の感情が削ぎ落されてしまっているという面もあるのではないか。
心理学同様にそう言った感情を扱う文学においても、ある場面における人物の感情はそれまでの経緯を踏まえて総合的に生じたものであり、一言では表現できないもののはずだが、それを合理的に表現する適当な語彙・方法がないため、最も強い影響を及ぼしていると考える語彙を取り敢えず当てはめて済ませざるを得ないというのが止むを得ない実情なのではないか。読む方としては理解がしやすいが、作家としては別の表現・方法があれば、その場面の登場人物の感情をもっと、適格・正確に表現したかったし、その方が読者の理解が得られるというのが真意なのではないか。
そもそも現状は客体を全て明確に把握したいという二元論の影響が及んでいるのだろうが、世の中が複雑化する中、それを単純に割り切ることの限界・弊害が露わらになっていることから、混沌としたもの、複雑なものをそのまま確率的に整理する新しい理論が求められている、と言えよう。
(新しい文学誕生への期待)
一つの言葉が二つ又は多くの意味に解釈されてあいまいだということ、ひいては、ある物事が一義的にとらえ切れず様々な判断が成立する多義性は虚偽の推論を招くもとだとしてかつては非難されてきたが、近年は。自覚的に主体化された多義性はむしろ積極的に評価すべきという考え方が強くなってきている。一義性をもっとも重視する自然科学においてされ、人間のもつあいまいさを取り入れた(ファジー理論・ファジー高額等)新理論・新学が出現している。
考えれば、哲学の世界でも。フランスのメルロ・ポンティが「両義性の哲学」を唱え、言葉で表現しきれない、こころとからだの微妙な絡まりあいを問題にした。文化人類学も、一義的に秩序された「中心」とそこから排除された多義的な混沌としての「周縁」とが対比されている。
文学では、既に最近の記号論で、言語に限らず記号一般の意味内容の多義性を必然的なものと考え、かえってそこに実用性だけでない創造的な可能性を見出そうとしている。
紙媒体を中心とした現状の小説や文芸では難しいだろうが、ICTが急速に進展する中では、PC画面上で複数の感情を同時に表現する方法というのもあり得るのではなかろうか?
そして、それがCGPT等のAIを超えた、漁師論が物理に果たしたような画期的な、新たな表現法として確立・進展し、新しい文学・小説が誕生する日が来るのではないか、それも近いのではないか、と素人ながらわくわくしながら期待している。

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