(「不適切」入試への措置)
2018年、一部の医学部の入試での合否判定において、女子学生や浪人生に不利な基準が設けられ、合格判定が取り消されていたことが報道され、また、これに関連して文科省幹部の子息へ恣意的な入学許可を行っていた大学があることが明らかとなり、これらが大きな社会問題となった。このため文科省は全国の医学部の入試判定の実態を調査し、その結果、複数の大学医学部に対して入試方法が「不適切」と判定した上、その程度が著しいと見なした大学に対しては私学助成金を全学不交付とする措置を講じた。
(入試内容・方法の決定権)
一見、正しい対応のように思われるが、果たして、これらは何に基づいて実施したものなのだろう。法律上、「学生の入学の決定」は学長が行うと規定(学校教育法第93条第1項)されている。当該大学に誰を入学させるかは、そこで行う教育研究の対象者を決めることであり、その中から自校の教育研究を継承・発展する者が誕生することも踏まえれば、学問の自治・大学の存立にも関係する極めて重要な事項である。だからこそこれを大学のガバナンスの最終責任者である学長の決定事項だとしている。
(権限なき対応)
このような規定を設ける一方、学長の権限を強化してきたのは文科省であるのに、その当事者が自ら法令の規定を逸脱する行為をして良いのだろうか。我が国では入試は公正・公平に行われるものであるという意識が強く、それは「入試信仰」と言える程だが、米国大学における入学者選抜方法を例に出すまでもなく、そもそも入試に公平性等は必須のものではない。どのような判定方法を採用しようと、大学の判断であり、その妥当性は受験生や保護者等ステークホルダーが判定するものだ。
従って、性別や受験経験の有無によって合否判定基準に差を設けることが適・不適かを判定する権限は文科省にはない。今回の問題は、受験生によって合否基準に差が設定されていたことにあるのではなく、そのことを予め公表することなく、それを用いた判定が密室で行われていたことにある。仮にこれらの基準が存在することが事前に明らかになっていたなら、あとは大学と受験生との問題であり、そこに文科省が干渉する余地はない。
(入試と公平性)
それなのに、文科省は「公平な」入試が担保されていないという観点のみからその適切性を判断した。マスコミ等の批判に応えた対応だったのだとしても、もっと慎重であるべきだった。しかも、その評価は「入試は公平であるべき」という独善的な考え方が前提となっている。繰り返しになるが、誰を入学者とするか、それをどのような方法で行うかを決めるのは大学(長)の判断・権限であって、そこに公平性は不可欠な要件ではない。例えば今回、不適切と判定された大学(医学部)の多くが私立大学であったが、それらは「建学の精神」に基づいて設立されていることから、それに相応しくないと判断された者を不合格とすること等も認められるべきだろう。それが適切か否かを外部から恣意的に判断するようなことは大学の自治への不当な介入に相当する許されざる行為だ。
(私学助成全額不交付)
これだけでも問題なのに、今回はさらに、私学助成の全学不交付まで行っているのだから深刻だ。私立学校振興助成法では、補助金を不交付とすることができるのは「(状況が著しく)補助の目的を有効に達成することができない」場合(第5条)となっている。そもそも、私学助成の目的は同法第1条に規定するように「教育条件の維持及び向上並びに私立学校に在学する幼児、児童、生徒又は学生に係る就学上の経済的負担の軽減を図るとともに私立学校の経営の健全性を高め」ることにある。
(不交付の影響)
なるほど、当該大学には前理事長と前学長が収賄罪に問われるという重大な法令違反があったが、それを理由に助成金を全額不交付とするのでは返って教育条件の維持や生徒等の就学上の経済的負担の増を招き、本法の目的に矛盾するのではないか。不交付分を補填するために、教職員の人件費が削減されたり、授業料の値上げなどが行われたりするようなことが生じればなおさらのこと、事件と関係のない職員や生徒がその巻き添えを食うことになり理不尽極まりない。せめて1/4、できれば半分程度の補助は交付すべきであったろうし、この減額の影響を現下の職員や生徒達に及ぼすことがないよう、事前に確認をとっておくべきだったのではないか。
(誰のための、何のための措置か)
最近、霞が関の役人の評判が芳しくない。その主要な理由の一つに、政治家の顔を伺い、意向を忖度して業務を行う姿勢が良く見られることが挙げられる。「国家公務」員であるはずなのに、一体、どちらを向いて、誰のために仕事をしているのだ、という訳だ。至極、もっともな指摘だ。ここで挙げた例は政治家の意向に沿ったというよりも、マスコミ等の批判をかわすためという意味合いが強いものだろうが、対象者をはき違えている点では大差ない。
評価を下げている霞が関の役人の中でも、ひときわ低く見られている文科省がこのような判断・対応をしていては教育行政に対する信頼が失われる一方であろう。冷静、毅然とした判断・対応を心から望みたい。

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