学校に期待される役割が年々増大し、家庭や地域が担うべき領域にまで及んできていることは良く指摘される。教師への期待や責務は増す一方で、それらに応えるため彼ら/彼女たちの業務は今や「ブラック」と称されるほどの水準にまで達している。このような事態を踏まえ、文科省は教員の働き方改革などを唱えているが、一向に効果を上げていない。
その理由は明らかだ。業務軽減を口にする一方で、各方面からの様々な要求に答える新たな教育内容を次々に加え、現場に課しているからだ。文字通りの二重基準である。最近はその傾向が顕著であり、以前はそれ程でもなく、教育内容の精選が教育改革の重要な柱とされていた時期もあったが、その当時でも内実はお粗末だった。それを思い知らされた出来事がある。
高等学校を担当する課に在籍していた時のことだ。そこは学校教育を所管する初等中等教育局の取り纏め・窓口の機能も担っていたので、国会の会期中は議員からの多様な質問がまず寄せられ、それを局内の担当課へ割り振っていた。各課はそれから答弁作成に追われることになるのだが、(学校)教育は誰もが一度は経験したことがあることから、自分の主張を織り込んだ質問がなされることが多い。
具体的には「〇〇は重要だと考えるが、学校では教えているのか」「××についてしっかり教育すべきではないか」と言ったものだ。これらの問に対しては、現行教育課程で対応していると答えることが原則だ。もし、当該事項を教えていないと答えれば、質問者はそれを教えるように要求し、結果、それへ新たに対応することが必要となる反面、教えていると答えれば、質問者はそれで満足するのが常だからだ。そして、教えていることの根拠として教科書の記述が用いられる。そのため、このような質問がでると、教科書課では直ちに各教科の教科書を全種洗い出すことになる。それを毎回、短時間で該当箇所をいくつも見つけ出してくるのには感心したし、薄いとの批判が多い教科書だが、そこに記載されている情報がいかに多いかには驚くばかりであった。
こうして毎回、滞りなく、関連する質問を処理して(かわして)いたが、反面、釈然としないものを感じてもいた。当時は「詰め込み教育」批判とそれへの対応が盛んに指摘・議論されており、教育課程(学習指導要領)の改訂では常に、「基礎基本の重視」「教育内容の精選」が方針として掲げられていた。ところが、質問・指摘される項目はどう考えてもそれには馴染まないものばかりだ。
そこで、ある日、同様の質問があった国会からの帰り道に局長に尋ねた。「〇〇を教えていると答えたことで、質問者(議員)は納得していましたが、これはどう考えても基礎基本的な項目ではないですよね。これでは国の方針に反することを表明していることになるので、<〇〇は基礎基本ではないので教えていない>という答弁をすることはできないのでしょうか、むしろそうすべきではないのか」と。
それに対する答は「それはそうだが、そうとも言っておれんからな。」というものであった。これには失望したが、同時に、肝が据わり忖度とは無縁で、是々非々をわきまえた人物と省内でも評判の局長でもそう答えざるを得ないという状況が思いやられて、自分などでは如何ともし難いのかと複雑な心境になった。

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