文科省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題」によると、小中学校における不登校児童生徒数は5年連続で増加しており、2017年度には14万4,031人(前年度比1万348人増)となっている。統計開始以降、初めて14万人に達し、過去最多(2001年度の13万8,722人)を更新したことから、マスコミでも大きく取り上げられ、識者による原因分析や解消策が数多く掲載されている。
このようなことが行われる背景には、子供たちは学校に行くのが当然であり、不登校とはこれができない子による「問題」であるとの認識があるようだ。これは、文科省の調査名自体が「不登校等…諸課題」となっていることからも明らかであろう。
ところが、本来、不登校とは児童生徒が学校に行っていないという「状態」を示すに過ぎず、そこに価値判断は含まない。それをことさら「課題・問題」として取り上げるのは適切なのだろうか。そもそも、子どもたちに学校に通う「義務」はない。彼らが学校に通うのは「権利」であって、およそ自らの判断・積極的理由で学校に通わないことを選択している場合、不登校には何の問題でもない。むしろ、このような子を無理に学校に通わせることこそ問題であろう。
反面、文科省の調査ではカウントされていないが、民間の調査では「学校の授業に興味がもてない。毎日つまらない。学校に行くことが苦痛でたまらない。」と思いながら、親や周囲の人間が不登校に対して否定的な意識を持つため何とか登校するものの、教室に入らなかったり、登校しても遅刻・早退が多かったりする傾向をもつ児童生徒が数多くいることが明らかになっている(※)。
最近、「無理をしてまで学校に通う必要はない」「子どもが苦しまないためには不登校も選択肢の一つ」という方向に認識・判断が広がってきたのは個を尊重する姿勢が浸透していることを示す良い傾向であるといえよう。
このように子ども達の「現状」に対し、批判から理解へと認識が進んでおり、それは今後も続くと思われる反面、それを生んでいる「原因」については解明が進んでいないようだ。
その要因として、これまでの分析・対応は学校に通わない「子ども」を主体にしてきたことに止まり、そのような状態に子ども達を追い込んでおり、何よりも不登校の場である「学校」の在り方については焦点が当ててこられなかったことがあるのではないか。
最近、個に応じた教育の必要性が叫ばれるようになっているが、それでも一人の教師による授業を集団で聞き・学ぶという学校の基本的な性格は、学校(スクール)の語源となったスコーレを創設したアリストテレスの時代から変わっていない。これだけ社会が急変し、諸制度が大きく変わっている中でこのこと自体、極めて奇異なことだし、そこに摩擦・軋轢が生じないはずがない。
その意味で、今後は不登校「問題」は「児童生徒の…諸課題」として整理するのではなく、「学校(制度)の…諸課題」を如実に示す具体例として取り上げるという姿勢・方向が必要であろう。
それが従来のような対処療法的・一過性の対応から脱却し、真に子どもたちのためになる改革へと道を開くことになり、結果として学校が「自ら進んで行きたいと思える場所」になるのではないか。
関係者の抜本的な意識改革こそが早急に求められよう。
※「不登校傾向にある子どもの実態調査」(日本財団・2018年12月)

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