(大躍進)
2020年度の米アカデミー賞で韓国映画「パラサイト」が外国語映画として初めて作品賞を受賞(他に、監督賞や脚本賞も)したことは大きな驚きと賞賛をもって報じられた。また、音楽の分野でも韓国の7人組アイドルグループ「BTS」が「Dynamite」で米ビルボード・シングルチャートの1位に輝いた。これは韓国人アーティストとして初であるととともに、アジア出身歌手でみても坂本九氏の「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」以来、57年ぶりの快挙である。
我が国では以前から韓国ドラマや韓国人グループの楽曲が人気を博しており、こうした傾向は「韓流」と称されているが、今やこれが世界的規模に達したと言えよう。
(思い出す言葉)
このように、最近、エンターテイメント・芸術部門で韓国勢の躍進が目覚ましいが、それはなぜだろう。
今までも様々な活動が行われてきたのに、なぜ今、これだけ優れた成果が続出するのだろう。それを考えると、すぐにある言葉が頭に浮かぶ。
米映画の名作「第三の男」の中で、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムが観覧車の中で述べた
「イタリーではボルジア家30年の圧政の下に、ミケランジェロ、ダヴィンチやルネッサンスを生ん
だ。スイスでは500年の同胞愛と平和を保って何を生んだか。鳩時計だとさ」
というセリフだ。
映画にしろ、音楽にしろ、作品には製作者=芸術家の思想や主張が込められている。むしろ、それらを目に見える形で表現したものが作品だとさえ言える。
従って、彼らが抱えている現状への不満を訴えたいとの思いが強いほど、それを反映した映画や楽曲は力強いものになるだろうし、歴史がそれを示している。
(韓国の実情?)
こう考えると、韓国が優れた作品を輩出しているのは、背景にそれだけ現状への強い不満や要求があるからとも言えるのではないか。
韓国での格差社会の実態を扱った作品がアカデミー作品賞を受賞したというのも示唆的である。そして、このような社会問題がこの数年間に、現文政権下で顕著となっている。政権支持率は度重なる不正問題から、下降の一途をたどり、今や3割を切って危険水域にあるとも言われる。対外的にも日韓関係は言うまでもなく、米や欧州との関係も冷えており、頼みとする北朝鮮関係も進展がない。
このような閉塞感が、芸術家をして優れた作品を誕生させる原動力となったのではいか、というのはある程度正鵠を射ているのではないか。
こうした見方に対しては、韓国において支持率が低かった政権は他にもあったとの指摘や、政治的混乱に国民の不満が高まっている国はほかにもあるのに、なぜ韓国だけなのかという批判があるだろう。
前者については、過去の政権におけるものより今回の不満の方がはるかに強く、深刻なものであることを示しているとも、これまで積み重なった不満がここにきて一挙に爆発したからとも言えるのではないか。
また、後者については、他の国と違い、韓国ではこれまでも多くの優れた作品を生んできており、そのような実績と基盤をもつことが他の国とは異なる。
いずれにしろ、一つの見方に過ぎず、しかも穿ち過ぎとの批判もあるだろうが、原因解明に一石を投じる試みと理解頂ければ幸甚だ。
(本当の教訓)
ただし、本稿の目的は韓国内の問題を指摘することにあるのではない。いわんや、それで我が国を優越感に浸らせることで、巷に流布する嫌韓論の末席を占めたいなどという意図は全くない。むしろ、逆である。
仮に、韓国でこれだけ優れた作品が生み出される要因が国内の閉塞感・不満の高まりにあるとしよう。では、それに対して、我が国の状況はどうか。過去や他国より優れた、皆が満足する状況にあるのだろうか。官民による度重なる不祥事やコロナ禍におけるお粗末な判断・対応によって政権支持率は低下の一歩をたどっている。状況は韓国と大して差はないと言える。それでは何がこの差を生んでいるのであろうか。
明らかなのは、政治に対する市民の直接的な活動の差だ。韓国で数十万人規模にも及ぶ大規模な抗議集会や行進が実施されている様子は報道やネットで頻繁に目にする。このような社会運動が組織・実施されるのはそれだけ市民が政治に対して、強い気持ち・関心を持っているからだろうし、そうした気持ちが根強く、深いからこそ、芸術家がそれを受け止め、作品に昇華しているのだと言っても過言ではなかろう。
ところが、我が国では世論調査では現状への不満を表明するに止まり、その先の行動に結びつくことはない。これからの社会を支える若者が政治・社会に絶望し、将来に対して希望を持たず、今が良ければ良いという心情にあることを、社会学者の古市憲寿氏が「絶望の国の幸福な若者たち(講談社)」で解明してから10年が経過した。それから大きな変化もなく、社会全体が政治への不信・拒否にありながら、現状を変えるための行動には移そうとせずにいる。なぜこうなったのかはそれ自体大きなテーマであろうが、いずれにしろこれは政権側にとって誠に好都合な状況であることは間違いない。
これでは、現状に対して特別な対策がとられることもないだろう。それを許していては激動する世界から我が国が取り残され、若者が絶望する社会を残すだけとなる。すでにそれが相当進んでいることを忘れてはならない。当然のことながら、ここに市民の感情が反映された優れた作品が生まれる余地など全くない。
(改善に向けて)
これを改善するには直接的な(社会)運動が必要である。既に2013年にはその具体化としてのデモが不可欠であるとして、その歴史や理論・可能性を詳述した小熊英二氏の「社会を変えるためには」が刊行され、その年の新書大賞も獲得している。
多くの人が手にした同書も参考にしつつ、社会を作る主役は自分達であるとの認識に立ち、皆が具体的行動に移すことが必要であろう。特に若者にそれを期待したい。今まで不利益を被るばかりであった彼ら/彼女らの対応こそが鍵を握っているのだ。
そして、我が国でそのような動きが進めば、それを示す指標・リトマス試験紙として、今まで以上に優れた、国際的評価を得る作品が次々と生まれることになるのではないかと愚考する次第だ。

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