従来の英語教育が文法や読解中心であったのが問題だとして、近年は、会話・コミュニケーション能力育成が重視されてきており、その先に4技能の修得があるが、その効果は上がっているのか。
逆に、鳥飼・立教大学名誉教授の分析からTOEIC等の検定試験の成績が国際的に低いのはむしろ読む力や文法力が劣っている故であることが客観的に明らかにされている。
これら事実を踏まえれば、英語力重視に向けた教育には会話・コミュニケーション力重視という考え方、方策こそ見直すことが必要ではないのか。
教育政策がデータ・根拠に基づかず、「これが必要」「こうすべき」といった観念論・理想論ばかりに基づいて策定されているとの問題点については既に多くの有識者から指摘されている。
ところが、これらの意見・指摘に耳を貸すことなく、「独りよがりの(審議会の意見を踏まえていると言うだろうが)教育愛用・水準を設定し、その実施を現場に求めている。その結果が、検定試験結果の国際比較で、我が国の成績が常に低いという数値となって現れている。
その原因として常に「文法や読解を中心とした教育」が問題視されてきたが、それを裏付ける根拠はない(根拠を示すよう求めるのも良い)反面、上述の通り、むしろ文法や読解力が足らないことが要因であることがデータで示されている。
これらを踏まえて、会話・コミュニケーション重視といった方針を転回することを真剣に考えるべきではないか。
この質問に対しては、これまで同様に
「英語教育の方向・重点については審議会における専門家・有識者の意見・議論を踏まえて策
定したものであり有効であると考えている。それが成果を上げるよう、取り組みを進めて参りた
い。」
と言った答弁になるのだろう。
これに対しては「学習指導要領」に関する質問項目で確認することにもなろうが、それは全体(そもそも)論につながるここでは敢えて個別論に焦点を当てて、質問を続けることにする。
まず、前問D1でも言及した「会話・コミュニケーション能力の育成」についでである。
会話・コミュニケーション能力の育成が重要だと言うが、充実した、実りのある会話を行うためには、相手が納得するような、優れた・創意に満ちた考えを纏めるとともに、それを相手が理解しやいように整理し、また説得力ある言い方で表現する力や、相手の言うことを理解し、その是非を即座に判断する能力が必要である。それらがなければ、発音がどれほど正確で、使う単語が豊富であっても、単に思いついたことが無造作に口からでるだけの独り言に過ぎない。そしてこれらは英語の前に母国語での論理的思考力等に関係する問題だ。
果たして、英語教育が目指す会話力の前に国語力の育成・確保こそが必要と考えるが、両者はどの程度関連づけて考えられているのか。
学習指導要領には教科間の連携に関する記載もみられる。従って、この問・指摘に対してはその旨を答えることになるのだろうが、実際にはその内容は必要性を述べるだけで抽象的なものに止まり、具体的にどうやれば良いのかについての言及もない。
これでは、教科担当別になっている中学校以上では役に立たず、画餅にすぎない。クラス担任制である小学校では、教科横断的な取り組みが比較的に実施しやすいと思われるが、当該学校種ではそれ以前に既に言及・指摘した諸問題が現存している。そこで、右を指摘することになるが、おそらく返ってくる答は、冒頭に記した内容の繰り返しに近い、
「学習指導要領でも教科間の連携の重要性は指摘しており、これを踏まえて各現場で、実情に
応じた様々な工夫・取り組が進められると考える。」
が行われるだろう。要は制度論ではなく、現場での問題であるとすり替えるのだ。これに対応するには、現場での具体的な状況を示すことで教科横断的な取り組みが難しい・実施されないことを明らかにするしかない。それらが教師の対応への支援になることを銘じる必要がある。
さて、以上の2問を導入として、いよいよ「4技能」自体についての質問を行う。
将来、我が国では外国人と4技能を用いたコミュニケーションを行う者がどれ位いて、それはどの程度の水準のものかを想定しているのか。
ネット社会ではメール等を使い「書く・読む」がメインであり、かつ、会話による日常的な意思疎通は自動翻訳でも代替されていくことを踏まえれば、将来、英語を使う上で4技能を同等程度使う必要がある人はそんなにいないと思うが如何。
「4技能」の修得を進めているが、それらを使う人・機会がどれ程あると考えているのか。すでに問A1やA4で同様の質問を行っているが、これらは重要な論点であることから、改めて確認する。これまで同様、「必要である」「重要である」「実施することが望ましい」と言った程度の根拠に基づいて進められていることは明らかで、この問に正面から対応することはできないことから、回答としてはおそらく
「4技能は英語習得に不可欠な能力であり、それらが相互に関連することで効果的・効率的に
能力が向上することになることから一体的に進めているものであり、それを使う機会や人が多く
なることを根拠にしているのではないので、お尋ねの数値・水準については答えかねる」
というものだろう。
すでにお気づきのとおり、この答に対しては問A1やB2を改めて問えば良い。しかし、そのことで堂々巡り(なぜ⇔必要だから)が繰り返されることになる恐れがあることから、観点を変えて次の指摘を行おう。
4技能の重要性・必要性を繰り返し訴えているが、専門職採用試験である旧外交官試験・通訳士試験ですら、能力は英文読解・和文英訳のみで行っているのに、なぜ英語をそこまで専門的に使うことのない一般国民に4技能を修得させ、その程度を測る必要があるのか。
なるほど、4技能はあった方が良いだろうが、その費用対効果はどう考えているのか。
英語能力は英文読解・和文英訳で十分判定可能であることは、佐藤譲も外交官試験の実例を挙げながら再三指摘している。
問D1で鳥飼・名誉教授の指摘にも言及しているが、このように客観的なデータ・事例があるのにそれらを無視する姿勢はとても理解し難い。
本問に対し、どのような回答をするのかは想像がつかないだけに興味がある。
このような、根拠に基づかない方針が審議会での専門家による議論・検討の結果纏められたものだということが理解し難い。
さて、小学校英語教育の効果については問B4でも尋ねているが、英語教育全体について効果検証がされることもなく、有効性には疑念が残る「4技能」の育成が続けられる。
そこまでして実施する「4技能」育成について、教師の問題については問C4で取り上げたが、肝心の生徒について大きな問題が看過されている。それが大学での教育だ。
高校までの英語教育を問題視する一方、4技能の育成を課せられた学生が、大学に進学後、どのような英語教育(カリキュラム)を受けるべきか、の検討・改善が進んでいないのは整合性を欠くのではないか。4技能育成を進めるうえで、高大接続の観点からも教育内容・方法・水準の調整をしておくべきではなかったのか。
ある事項への対応が局や課の中だけで行われ、同じ省内にある他の局課との連携がないことは「局・課があって省なし」と言う言葉で良く指摘される。
英語教育政策もその典型であり、初等中等教育段階で散々、「4技能」「会話能力」の向上を進めていながら、それらがその後、どのように教育・育成されるのかは放置されている。
(社会人になった後の状況については問D4で言及しているが、その前の)大学教育と連携しな
いままでは独りよがりの方針だと見なされても仕方ないだろう。
この指摘に対しては
「高校生の全てが大学に進学するわけではないうえ、大学での教育は学習指導要領とは別に、
当該大学での人材育成方針・研究内容等から決まるものであるので両者に安易な関連を求めるこ
とは 適当ではない。」
と言った、大学の「学問の自由」を逆手に取った答弁が予想される。
なるほど、学校教育法上、大学には高校までに規定されている「(前学校段階)における教育の基礎の上に」という文言がないことから、高校までの教育との関連・接続が求められているわけではないと言いたいのだろう。
しかし、同法第90条では
「大学に入学することのできる者は、高等学校若しくは中等教育学校を卒業した者若しくは通常
の課程による十二年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校
教育を修了した者を含む。)又は文部科学大臣の定めるところにより、これと同等以上の学力が
あると認められた者とする。」
としており、高校(若しくは中等教育学校)等の教育修了を前提としていることは明らかだ。
これは当然であり、大学が専門教育を実施する上で、高校までの教育を修了していることはその基礎として必須である。仮に当該大学では入学に際し、英語について「4技能」を修得している必要がないとするのであれば、その旨を事前に公開すべきだろう。そのような大学がないこと自体、高校までで求められている「4技能」の修得を前提にしていると言えるのであり、当該答弁が詭弁であることは言うまでもない。

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