(教育市場活性化の背景)
教育熱心な我が国では、老若男女・分野を問わず、多くの人が日々、様々な講義・訓練・研修に励んでいる。時間・費用が限られている彼・彼女らに対して、効率的・効果的に成果が上がることを訴えた機会・プログラムが次々と登場している。いずれも一見、魅力的な構想に思えるが、当初の期待通りの成果が上がっていることに喜び、続けている人より、結果に不満を抱えた挙句、中断してしまう人の方がはるかに多いようだ。その人達は、新規の者に加わって新たなプログラムの顧客と化すので市場自体の維持・拡大に確実に貢献している。
この状況に対して、真剣に向上を目指す消費者の心理に付け込んで、不十分な商品を宣伝し、売りつける業者側の問題だと原因を決めつけるのはたやすいが、果たしてそう言い切れるだろうか?消費者側に要因はないのだろうか。
英語を例に考えてみよう。文科省の方針で小学校から長年、教育を受けていながら、思ったほど上達せずに来たこと反省・実感していることを根幹に持つ人は多く、皆、様々な教室・アプリを利用して自己学習に努めている。電車内でも英会話の本を読み、音声を聞き、問題をアプリで解いている姿が容易に目につく。英語教室の看板も数多く吊下げられているので、これらに誘われて通う人も多いのだろう。
果たして、彼ら・彼女らはどの程度上達していると感じているのだろう。宣伝文句を信じ、短期間での成果を期待している人は多いのではないか。ところが実際には、ある程度の期間が経過しても思ったほどの効果が表れていないと感じ、それが現在利用している本・アプリや教室のせいだと判断して、それらを止めて代わりの新しいものに映る(新たな顧客の誕生だ)。そして同じ経験をする。この繰り返しなのではないか。
(進歩の根幹)
これは大きな誤解が影響した結果だと言える。訓練や
研修は、
ちょうど右図の黒線のように、それに費やした時間に比例して成果が直線的に上がるものと誰もが思っているのではないか。
従って、成果が表れないのは、それにかけた時間が少ないからということになるのだが、事前の宣伝ではこれに反し、短い時間でも成果が上がると述べており、それを信じたのに裏切られたとして怒り、別の手段を探すこととになる。
こう考えると納得がいくように思えるが、実はその前提に誤解がある。即ち、練習や研修等の成果は上図の黒線のように時間に比例した直線ではなく、赤線のように階段式に得られると考えられるからだ。
さらに、そこにかけた時間と得られる成果の量とに関係はない。長い時間をかけたからと言って大きな成果が得られるわけではなく、その逆も言える。短い時間で大きな成果が得られることがあるし、長い時間をかけたのに漸く得られた成果がいままでのものよりも小さい、ということもある。しかも、それら(階段の形状)は人によっても違うので、比較は何の役にも立たない。確実に言えるのは、成果・上達は必ず現れることであり、しかもその量・規模は今までの努力が無駄に見えるほど明らかに桁違いなのに、それがある日突然にやってくることだ。
自分の経験でも、昨日まで何度聞いても分からずにいた英語の文章が、ある日、嘘のように全文聞き分けることができ、信じがたい思いにかられたことがある。
ただし、そのような成果がいつ、どの程度得られるかは事前には全く分からない。
従って、当事者としては今の取り組みを信じて続けるしかないのだが、不安になるのも無理はない。確たる成果が得られずにいることが続くことで自信を無くし、頓挫したり、手段を変えたりする人が多いのだが、一旦中断すると、それまでの積み重ねが無になるのも事実で、本来なら成果が出るまであと一歩のところにありながら、改めてゼロからスタートすることになるのだから悲惨だ。
こうしたことは、知的作業だけではなく、スポーツや体力づくりといった肉体面でも同様に生じる。先ほどは英語の例をあげたが、スポーツに関して、ゴルフで何度も練習を重ねながら100を切れずにいたのに、ある日を境にスコアが伸び、以後、100を上回ることがなくなったという経験は誰もがもっているのではないか。
(「進歩」は自身が納得した証として発生)
なぜ、このようなことが起きるのだろう。不思議でならないが、自分なりに得た結論は、「今行っていることは本当に自分に必要・不可欠なことかを、実は自身が深層で冷静に判断しており、その基準に合致した場合には始めてそれを我が物とすべく、身体が積極的に調整する」というものだ。これは安易に自分を変えたり、不必要な調整を新たにしたりすることを防ぎ、現状で十分と、今の自分を守るための仕組みと考えられる。要するに「自己防衛」のために行っているので、「相手は自分」なのだ。換言すれば、本当に必要なことには体を変えることも厭わないが、その必要があるかを判断しているのが自分ということになるので、結局、自分の真剣さが試されると言える。
従って、自分を納得させるには、多少困難な、苦労を伴う対応であることが必要という面もあるだろうし、逆に成果を一度得ていれば、身体が必要性を知っているので、その後期間が空いていても、新規に獲得するより、はるかに短期間かつ容易に基の水準に戻ることが可能だろう(途中に空いた期間は復興までの長さにも影響するだろか…)。
こう考えれば、「効率的・効果的に、短期間で成果が得られる」という宣伝文句に惹かれていること自体、「それが本当に必要なのか」という基準にそぐわないものと言えることから、一定の成果が得られるまで時間がかかるのも当然ということになる。
このように断言しておきながら、それを裏付ける論文や研究成果は寡聞にして知らない。しかし、これまでの経験・伝聞をもとにして考えた内容で大きな誤りはないと思う。
実際、昔、高校でこの話をしたところ、教員を含め、学生からも大きな反響を呼び、共感を得た。
ついては、このことが多くの人にとって、練習・研修を続ける・諦めないことに少しでも役立つならば幸いだ。

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