4技能が必要な根拠とは?

(焦点のズレた騒動)
 大学入学共通テストで英語民間試験を使うとの方針を巡る混乱は実に不思議なものだった。一時期は社会を巻き込むほどのものとなったが、問題自体はずっと以前から指摘されており、国会議員に対して実施中止を求める請願も行われていた。

 ところが、その後、国会で問題視され、関連質疑が行われたことも、目立った報道が行われたこともなかった。それが急に(文科大臣の発言を契機に)、新しい問題が生じたかのように扱われ始め、受験生たちがかわいそうだと騒ぎ立てているのを見ていると、何を今さらという気がした。

 今まで無関心であったのは何だったのかという思いがしたし、民間試験に反対する理由が公平性に問題があるから、ということのみに集中しており、4技能の判定を行うこと自体については今でも皆が「絶対に必要」だとしていることにも違和感があった。

 本当に問題は公平性だけなのか。4技能判定は無条件に必要だという理由・根拠は何なのかは分からず仕舞だ。大きく騒がれはしたものの、結局は本質が問われることなく過ぎたという印象を拭えない。

(大学教育との関連を無視)
 なぜなら、受験生は高校で英語学習を終えるわけではない。入学試験合格後、進学した大学で英語教育を受けることが看過されているからだ。本来、入学試験は当該大学での教育(及び研究)を受けるに足る知識や意欲・技能等を有している者を判別するために行われるものである(ところが、現実には知識しか判定しておらず、これは別の論点になる)。

 大学によって教育内容・水準が異なることを反映して、入学者に求める能力の範囲・水準が違うのは当然であり、だからこそ個別に試験を行うことが必要とされている。ところが、入学前に判定した4技能の結果がどう当該大学での英語教育に反映・活用され、4技能がどれだけ伸ばされるのかは一切明らかでない。

 なるほど、学習指導要領や共通テストでの4技能重視の方針を受け、その育成に向けた教育改革に取り組んでいる大学「も」あるだろうが、全国の大学のうちではごく少数にしか過ぎない。昔ながらの英語講読で済ますだけという大学も少なくなく、大学教育の改善・向上を求める提言が繰り返し文科省から公表されているのが実情だ。共通テストは全国で50万人以上が受験する。その中でこのような大学に進学する学生に、4技能は必要と言えるのか。大半の生徒にとって、4技能は試験のため「だけ」の努力を強いるものとなる。

(説得力を欠く反論)
 こういう指摘に対しては、すぐに「4技能は社会に出てからも必要であり<試験のためだけ>ということにはならない」「国際的にも低水準にある我が国の生徒の英語力を向上させるためには4技能が不可欠である(これまでの読み書き中心の英語教育から脱却しなければならない)」と言った反論が出される。しかし、いずれも説得力に欠ける主張に過ぎない。

 まず、「4技能は社会に出てからも必要」とされるが、果たして全国の高校卒業生が全員、国際社会で4技能を駆使して活躍することを想定しているのだろうか。いくら国際化が進み、外国を訪れる機会が増え、我が国を訪れる外国人が増えるといっても(そもそも、増えるのは英語圏からばかりではないのに)、多くの日本人にとって英語を使う機会は今後も挨拶や道案内・簡単な会話程度であろう。しかも、技術の急速な進歩によって、近い将来にはそれらの大半をスマホに内蔵された翻訳機が処理してくれるようになる。生徒達が学校を出た後に生活するのはこういう状況であることを踏まえれば、50万人に及ぶ受験生全員の4技能を判定する意味がない。

 そもそも、職業上、外国語が必須である通訳士や外交官になるための国家試験(全国通訳案内士試験及び外務省専門職員採用試験)でさえ、一次試験は筆記試験のみであることをどう考えているのか。

 また、「4技能実施により英語教育が向上する」という議論に至っては、そもそも「読む・書く(文法)」中心として批判される現行の教育自体が十分な成果を上げておらず、その原因究明すら行われていないのに、なぜそこに「話す・聞く」を追加すると教育効果が向上すると言えるのかを問わざるを得ない。

 むしろ、2016年に英国で実施された調査結果によると十代の若者の約半数(49%)が、たとえ同室内にいる人であっても直接話すより、携帯電話でメッセージを送る方を好むという。若者の間でこの傾向が強まっていることを踏まえれば、「話す・聞く」ことよりも、いかに誤解なく相手の意向を「読み取り」、自分の真意を正しく「書き伝える」ことこそが重要ではないのか。求められるのは新たな能力などではなく、従来の「読む・書く」能力の向上なのだろう。

 将来の社会像に対する定見ももたず、根拠も実効性も不明な方策をただ、期待と理想?のみに基づいて主張されてもそれらは巷間に流布するダイエットや健康法と同じ独りよがりの、独善的的見解に過ぎないと断じざるを得ない。

(結論として)
 4技能は「身に着けた方が良い」(〇〇健康法もした方が良い)ものであり、その効果を「判定した方が良い」(ダイエット効果も測定した方が良い)だろう。しかし、それを必要とする人ばかりではなく、むしろそれ無しで全く支障なく生活を送る人が大半であることをしっかりと認識すべきだ。

 「しないよりは、した方が良い」という曖昧な、理想論だけを根拠にした政策が教育政策では主張され、実施されることが繰り返されているが、それらに投じられる国費の額や、対応する関係者の負担等を勘案すれば最早、根拠なき政策を見過ごすことはできない。「英語4技能」はその顕著な例であり、その必要性・効果を検証し、改めて抜本的に検討をし直すことが必要であろう。

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